黒田官兵衛に関わった街・妻鹿
廟所を見学した後の ぷらっと歩き旅は「妻鹿街歩き」
妻鹿の街を歩くと、黒田官兵衛に関わる物や歴史を感じる建築物が多い。
妻鹿駅から海岸方面、中心街へと歩く
fot:2014.05.16
月松山という寺院からお経を読む声が聞こえてきたので門をくぐった。
門をくぐると立派な構造の釣鐘堂がある。
戦争時に金属供出にあい、釣鐘は取られたが、
まもなく戦争が終わり、返されたというラッキーな釣鐘だ。
この釣鐘は、黒田官兵衛が松原神社に寄進したとされている。
当時は寺社仏閣が同じように祀られていたが、
神社と寺を分離させることになり、この釣鐘をこのお寺へ設置したという。
ガイドさんから興味深い話が聞けて嬉しい。
当時に植えられた樹木は年輪を重ね、立派な形で育っている。
庭の手入れもきれい
次は、少し先のこじんまりとした教念寺(浄土真宗)の門をくぐる。
インド仏教の初期は、お釈迦さんの足裏の形を石に刻み、
それを拝むという行為をしていたそうだ。
なるほど、そうだったのか。
この教念寺の住職がインド仏跡の巡礼記念として
昭和4年にお釈迦さんの足裏の石形を造ったそうだ。
石の溜め水があり、植物が生えて、メダカが泳いでいた。
細かいところにも手が加えられているなぁ・・。
そしてまた街を歩く。
石壁と伽藍の似合う街並みが歴史を感じる。
昔の広くない道幅に神社仏閣が点在するという妻鹿が好きになった。
昔から頑張っている散髪屋さんがあった。
看板とかシンボルのような物が見当たらない。
これは風流!
その先を行くと、埋め立て跡で、ここから海や漁港が見当たらない。
ここに海の岸壁があって、昔は栄えた魚市場があったらしい。
妻鹿漁港魚市場跡の石碑だけが残っている。
妻鹿と中村との境目に、大きな3個の石がある。
秋祭りの太鼓が鳴るたびに、3個の石が喜んで振動するそうだ。
ボランティアガイドさんによると、子供のころ大人から聞かされたが、
まだ動いた石を見たことも無いと笑っていた。
秋祭りとは、日本三大喧嘩祭りと言われる松原神社の勇壮な祭りの事。
黒田官兵衛の歴史ウオーク
2014年の春、官兵衛の足跡を追って歩いた記憶を辿ってみる。
この日、播磨路は絶好のハイキング日和だった。
日本三大けんか祭りで有名な姫路市の松原神社がある所の
私鉄山陽電車「白浜の宮駅」で下車し、
中村公園へ集合した午前10時から始める。
fot:2014.5.11
こういうウオーキングプランに参加するのは初めてだが、愛好家が多いね。
最初に目指したのは、歴史ある麻生八幡神社。
どんな神社なのか行って初めて知る事ばかりだった。
麻生八幡神社を後にして、仁寿山への急勾配を息切らせながらの登山。
中腹まで登った所で腰かけて休んでいると、
頂上まで登った先頭集団が戻ってきたがハツラツとしている。
まだハイキングの始まりだというのにみんなお元気。
付け加えれば60歳以上ばかり・・だと思う。
歩きなれた人のバッグには、記念のバッジがカラフルに飾られている。
道端の草花も目で楽しみながらの時間が楽しい。
これは矢車草ですねと話しかけてくれる人もいて。
畑には夏野菜の苗があちこちに植えられて、なんてのどかな風景だこと。
庭の甘いサクランボを私たちのような通行人に惜しげも無く配る男性。
一粒頂いて口に含むと疲れが抜けそうな甘さだった。
やや、足取りが重くなりだした。
水音を聞きながら市川を西へ越え、高浜総合公園(姫路の手前)に到着。
腰を下ろし休憩しながら談笑、そしてお弁当タイム。
こんな時のおむすびは最高に美味しい。
加古川市・鶴林寺には、古くから伝わる年中行事「鬼追い」がある。
それを味に表した名物茶菓子「松風堂の鬼追いまんじゅう」を頂いた。
薄皮にしっとりした餡を包んで、あっさり仕上げの味わいが最高だ。
休憩を終え、官兵衛と父・職隆の居城跡(左の山)を目指し、
春の緑が爽やかな市川堤防沿いを南へ(妻鹿方面)歩く。
翌年からNHK大河ドラマ・黒田官兵衛が放映される時だったので、
姫路市は期待に胸膨らませ、告知におおわらわだった頃の話題を書いている。
国府山城は標高98mに位置する。
市川沿いに振り返り、北北西を見ると、
修復中の姫路城てっぺんが白くうっすらと見えていた。
秀吉が居城とした姫路城と国府山城の位置関係が理解できる。
甲山にある国府城は、妻鹿城とも功山城ともよばれる。
国府山城を見てみたい。
官兵衛の父職隆が築いた非常に立地の良い城。
当時、播磨地方は織田の敵対地で、天正八年(1580)羽柴秀吉は、
三木城主別所長治を滅ぼし、三木城を居城とした。
これに対し、官兵衛は三木城が戦略的に不備であることを進言し、
自らの居城である姫路城を譲り渡し、
父・職隆とともにこの国府山城に移ったというお城だ。
黒田家は目薬の木から目薬をこと製造販売していたという。
この妻鹿一帯は、黒田家を祀る様々な寺社や廟所が建てられて
地元の人が誇れるシンボルとなっている。
市川の西、左奥が羽柴秀吉に譲った姫路城がある。
官兵衛の家来・母里太兵衛友信の生誕地もあった。
母里太兵衛友信は、民謡の黒田節に謡われる槍の名手。
昔の地理を考えながら、ここでどう過ごしたのかと考えてみるのも面白い。
こういう民家の辺りにあるから、なかなか探しにくい。
これから妻鹿の街中へ歩く。
姫路城主・黒田官兵衛について
2014年1月から放送されたNHKの大河ドラマ・黒田官兵衛とは。
官兵衛はドラマに登場することが少ない人物で知名度はそれほど高くない。
地元民として嬉しい事であり誇りに思う。
★ちなみに国宝・姫路城は改修中であり、2年後の2015.4.9に完成予定。
祖父の代に姫路に辿り着いた。
父・職隆は地元の大名・小寺氏に仕官し家老として重用されていた。
22歳にして、結婚と同時に家督を継ぎ小寺家家老の座に着く。
織田信長の将来性をいち早く見抜き、
羽柴秀吉には弟同然と呼ばれるほどに信頼される。
主君・小寺藤兵衛が織田家を裏切った際には、
説得しようとして罠に落ち、1年以上、牢に幽閉される。
★このくだりは司馬遼太郎の「播磨灘物語」を読むと詳しくわかる。
出獄後は小寺家と縁を切り、秀吉の軍師となる。
秀吉の天下取りを演出しながら、天下統一が近づく中、
秀吉から「次の天下を狙う男」として警戒されていることを知るや
44歳の若さで家督を息子・長政に譲り、あっさり隠居する。
その後は、剃髪し如水(じょすい)と名乗るようになる。
★ここからは黒田如水という本を読むのがベスト。
関が原の戦いの際には、領地である豊前(大分県)中津にあって、
牢人兵を率い九州を席巻、最後の大勝負に出るが、
息子・長政の活躍で関が原が半日で終わり天下は夢に終わる。
戦の後は全ての恩賞を断り、長政に与えられた筑前国(福岡県)福岡で
静かな最後を送り、59歳の生涯を閉じる。
姫路城 昭和の大修理の歴史
昭和の大修理完成までの姫路城 とは
総合的大修理を行うとの方針が打ち出された。
昭和9年6月、豪雨のため、西の丸の「タ」から「ヲ」の渡櫓にかけて、
石垣もろとも櫓が崩壊するという災害が起きた。
そこで、臨時の災害復旧修理事業として西の丸の修理計画が立案された。
これが、姫路城大修理工事の発端である。
昭和10年、姫路城国宝保存工事事務所が文部省の出先機関として開設。
工事は戦争で中断したものの、昭和25年、第1次6ヶ年工事が再開され、
菱の門から備前丸の範囲が修理の対象となった。
昭和の大修理前の天守
いっぽう、昭和26年に姫路城が新国宝に指定される。
この工事終了に前後して、大天守一帯の根本的な解体修理を含む
第2次工事の計画がたてられ、昭和31年から実施された。
ぼろぼろになった部位もあったそうな。
最初の大事業は天守に素屋根を架けることで、翌年に完成した。
大天守の解体は昭和33年に完了し、
その過程で多くの銘文(めいぶん)が発見され、
天守の築造過程を知ることができた。
また、大天守を支えるためにコンクリ-ト地盤が築かれることになり、
昭和31年からの工事で旧礎石は撤去された。
昭和32年に素屋根を取り付ける。
昭和33年に解体工事が完了した。
昭和34年から組立工事が開始され、翌年上棟祭が行われた。
以後、小天守、渡櫓、台所の修理も行われ、
昭和39年3月末までに天守群の工事が完了した。
この工事には8年の歳月とのべ25万人の労働力が費やされた。
これを昭和の大修理と呼ぶ。
ぼんやりと記憶しているが、まだ小学生から中学生のことである。
晴天の日に姫路の方角を見ると山裾に見える黒い影。
それが大天守を覆った素屋根だったようだ。
姫路の街へ遊びに行くことがあった日にそれを確認できた。
(昔の事なので 一部参考にして拝借した文面・画像があります)
fot:2007.5.19
宮崎の平和台公園~宮崎神宮
★宮崎市内の観光巡りをした思い出
fot:15.3.31
鹿児島から日南海岸巡りを終えて、宮崎・平和台公園まで足を延ばす。
平和台公園というから、福岡にあるかと思っていたが勘違いだった。
(昔のプロ野球の西鉄ライオンズは平和台球場が本拠地だった・笑)
宮崎市下北方町にあるこの平和台公園は、標高60mの丘にあり、
季節の花と緑が美しい公園で、また来たい。
宮崎市街地を見渡せる平和の塔や、古代ムードあふれる「はにわ園」、
自然林や丘の起伏をいかした遊歩道、アスレチック広場などがある。
★はにわ園
平和の塔のそばに広い森があり、
古墳を型どった盛土の上に、日本各地から発掘された埴輪、
土器などの複製品が約400基配置されている。
広大な公園なので歩いて一回りは無理だ。
駐車場が3か所もあり、カーナビが教えてくれたけれど
目的地とは反対方向へ案内してくれていた(笑)
鳩が飛び交っているが、平和の象徴とされる白い鳩しか住んでいない。
★平和台公園の歴史
昭和14年(1939)、皇紀2600年の記念事業として着工し、
昭和15年11月15日竣工した平和の塔(高さ37m)がある。
基部面積は1023平方メートル。
昭和40年8月には東京の日比谷公園と姉妹公園となり、ハトが寄贈された。
飼育小屋があって、公園内は白い鳩が餌を探している。
昭和39年の東京オリンピックでは、
そのときに使用された聖火台も残されている。
とても珍しい世界を見ることができた。
シーガイアの目の前にある「フローランテ宮崎」へも行ってみた。
まるでガーデニングの見本みたいなきれいな花園 だった。
小雨がそぼ降るような暗雲の空なのに、暖かい春を感じた。
四季折々の花と緑を楽しむことができる植物公園。
平日なのに沢山の人が訪れていた。
チケットを買い、入場した視線の先は、
緑の芝生が広がり、カラフルに彩られた花・花・花
神戸の須磨離宮にも似た爽やかさ。
しいて言えば・・
マリー・アントワネットが暮らしたヴェルサイユ宮殿の雰囲気もある。
しかし、ウィーンで見たヴェルサイユ宮殿はやはり最高だったかも。
一年中、緑が美しい芝生広場があり、
テーマ別に植栽されたガーデニングの見本園や、
誰でもガーデニング体験などができる場所もあるようだ。
これなら花と緑に囲まれて過ごすことができるから人気があるのかな。
ドライブの疲れが吹っ飛んだ午後だった。
小腹が空いたので、マクドナルドにでも寄っていこう。
親しみをこめて神武さん参りというらしい。
広い境内で歩き疲れそうだ。
さつま芋かと思ったら、たばこ栽培の畑が広がっていた。
古代ロマンを求めて神話めぐりも。
宮崎歴史文化館へ入るとこの辺りの有力者の様子がわかる。
島津家の領地範囲にあったこともあり、鹿児島と宮崎は分裂を繰り返していた。
宮崎/道の駅 酒谷・飫肥城・油津港
★鹿児島から宮崎日南海岸へ
国道269号線沿いの弥五郎伝説の里を見学したら次へGO!
右方向の222号線へ入り宮崎・日南市油津漁港を目指す。
その途中に飫肥城があり、見学して油津漁港へ出るコースを選ぶ。
▲夏の田んぼは青々とした稲が実っている。(画像は拝借したもの)
しばらく車で走ると車窓の向こうに田園風景が見えてきた。
この辺りは日本の棚田100選に選ばれた「坂本棚田」がある。
この時、稲刈りのシーズンで家族総出で忙しそうだった。
途中に「道の駅・酒谷」へ寄り道して遅い昼食。
fot:16.10.
道の駅 酒谷
〒889-2512 宮崎県日南市酒谷甲
お食事処「せせらぎの里」
店の周りにはお年寄りが揃いの法被を着て腰掛けて話している。
ボランティアの人にしては案内もしてくれない。
お暇な老人が集まっての井戸端会議かな。
そこが田舎らしい(笑)
時計の文字盤が面白い。
古いメニュー札と新デザインの時計のミスマッチングも面白い。
たまご丼でお腹がパンパン。
夜までに運動しておかないと困ったことになりそう。
この頃は、プロ野球のクライマックスシリーズで盛り上がっていた。
宮崎にも広島カープと西武ライオンズの後援会というか応援団があるのかな。
道の駅というのは、ドライブで疲れた体をリフレッシュできる最適な所だね。
この道を選んで正解だったよ。
緑豊かな山々、綺麗な渓谷があり、
心和む風景が見られてよかったなぁと思う。
飫肥には、歴史のある武家屋敷や、昔の風情が残る町に飫肥城がある。
歴史ある城下町の飫肥城を再び訪れて少しの時間ながら散策。
小柳ルミ子が歌った 私の城下町♪・・ がよく似合いそう。
ここは九州の小京都と呼ばれ、建築物など昔の名残が美しい街。
鎌倉時代に曽我物語に登場する工藤祐経という武将がいたそうだ。
祐経は、源頼朝より日向国をはじめとして全国各地に所領を与えられ、
伊豆国伊東の地に居住したという。
その子である祐時は姓を伊東と改姓し、6代伊東祐持のとき、
代々都於郡城を居城にその勢力を拡大し、1
日向国内に覇権を樹立。
しかし、天正5年(1577年)島津氏に敗れて豊後国に落ちたようだ。
その後伊東氏が大名として復活するのは、
豊臣秀吉に仕えた義祐の子・祐兵が、
以降280年余、飫肥藩(五万一千石)を伊東氏14代で治めたという。
その当時のきれいなお城と城下が残っている。
飫肥城歴史資料館
やっと油津へ到着。
昔は大変栄えた漁港で歴史のある有名な所だ。
現在はプロ野球・広島カープのキャンプ地として街を上げて応援している。
天福球場↓ (画像は拝借したもの)
(画像は拝借したもの)
広渡川河口から油津港を結ぶ「堀川運河」は、
飫肥藩が飫肥杉の運搬を効率的に行うためにつくられた運河らしい。
1686年に飫肥藩主伊東祐実(すけざね)の命により
二十八ケ月の歳月をかけ完成したらしい。
平成4年には、堀川運河に架かる堀川橋を舞台に
映画「男はつらいよ寅次郎の青春」が撮影された。
髪結いの亭主におさまった寅さんの笑顔が思い出される
戦時中、代用食として魚のすり身と片栗粉でうどんを作っていたそうだ。
戦後、すっかり忘れられていた懐かしい味を再現したうどん。
現地では食べる時間も無かったので、検索して画像も拝借している。
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油津から日南海岸に出たので、宮崎市内を目指して運転して行こう
鹿児島/おおすみ弥五郎伝説の里
★鹿児島鹿屋市から宮崎日南海岸へ
鹿屋市から北上すると、道の駅・おおすみ弥五郎伝説の里がある。
「農土家市」という大特産品直売施設では、
さすがに農家をイメージする鶏、黒豚、和牛が出迎えてくれる。
黒豚料理が食べられるレストランもある。
弥五郎伝説の里
小高い丘に建つ弥五郎の銅像がシンボルとなっている。
高さが15mもあるので圧倒されてしまう。
弥五郎どんの巨人伝説?
昔むかし、宮崎の南の方に「弥五郎どん」という人がいました。
弥五郎どんは、それはそれは大きい人で、山に腰かけて
海でざんぶざんぶと顔を洗ったくらいでした。
弥五郎どんが歩くとその足あとが谷になったり池になったりもしました。
弥五郎どんはとてもやさしい人でした。
ある日、大雨がふって、川の土手がこわれてしまったときのことです。
村人が「弥五郎どん。近くの川の土手がくずれたので、どうか直してください」
とお願いすると、弥五郎どんは「よし分かった」
と言って、山の上から大きな岩をひょいと持ち上げると、
土手のくずれたところにポンと置き、あっというまに直してしまいました。
弥五郎どんはいたずらも大好きでした。
ある時、大きな岩で川の水をせき止めて、
「おれのわらじを百足作ってくれたら、岩を取ってやってもいい」と言いました。
村人は「また、弥五郎どんの無理なわがまま言いが始まった」と笑っていました。
また、ある時は「山に登って、かみなりさまをかき混(ま)ぜて、
二度と鳴らんようにしてくれる」と言い、
これには村人たちもびっくりしてしまいました。
このように村人たちは、弥五郎どんから助けられたり、
いたずらされたり、おどろかされたりしながら、
おたがいに仲良くくらしたということです。
鹿児島福山町の黒酢作り
桜島と真っ青な海とブリの養殖が見える。
NHK大河ドラマ・西郷どんのタイトルバックで最後に映る桜島は、
この地でドローンを飛ばして上空から撮影したものだ。
桜島の噴煙を左に見ながら進むとその先には道の駅「たるみず」があり、
そこで桜島を背にしながら、足湯で疲れを癒やす。
fot:17.8.16
黒酢で名が知れ渡る福山の黒酢壺畑に立ち寄らないと始まらない。
坂元の黒酢は、1つの壺の中で自然に糖化·発酵が進む、
世界でも非常に珍しい製法で造られているらしい。
一般的な米酢が、まず米から日本酒を造り、そこに酢酸菌などを加えて発酵させ、
タンクでの熟成を経て製品に仕上げているのに対し、
黒酢は壺の中に原料を仕込んだら化石燃料を使わずに太陽熱だけで発酵させる。
壺の中で黒酢造りの工程が自然に進行するそうだ。
そして発酵の状態を醸造技師が壺ひとつひとつ丁寧にチェックし、
最良の状態で熟成させ、製品に仕上げるという。
独特の香りとコクがあり、味もとてもまろやかなものになるという。
黒酢は健康になれそうな気になるドリンクだ(笑)
JAXA 内之浦宇宙空間観測所
★鹿児島宇宙センター 内之浦宇宙空間観測所方面へ
今、平成30年(2018)は開設56年を迎えた観測所。
ここ内之浦の地を選んだ糸井英夫博士の功績を讃え、博士の立像が建っている。
fot:14.11.25
鹿児島宇宙センター・内之浦宇宙空間観測所の入場口で、
施設内の見学の受付をする。
思い返せば、NHKの番組「家族に乾杯」で笑福亭鶴瓶さんが訪れている。
その後、NHKBS放送の「心旅」でも火野正平さんがチャリンコで訪れている。
宇宙科学資料館があり、ロケットの仕組みや宇宙研究の歴史が学べる。
ロケット整備塔や発射装置を遠くから眺めた。
打ち上げられた人工衛星・探査機を追跡し、データー受信及びコマンド送信を行う。
大型ロケットの発射場には見本が設置されている。
ま近で見上げる発射台装置はかなり大きい。
スケールの大きな観測所に驚いたことと、
二度と訪れることが出来ないだろうという気持ちが入り混ざって感動した。
発射現場からかなり離れたこの場所は見物する所です。
発射当日は観光客や地元の人たちの車で道路が混雑するらしい。
この高台は見学できる場所で、整備や拡張工事も進んでいる。
発射当日に観光客が見られるチャンスは少ないだろう。
ここ、花瀬自然公園は千畳敷と呼ばれる天然の石畳みが続いている。
花瀬川周辺にはソメイヨシノ、ヤマザクラなどが咲き、フジの名所としても有名。
4月には花瀬公園祭りもあるようだが、再訪は難しいかもしれない。
大隅半島を南下すると佐多岬展望公園があり、本土最南端の地といわれる。
亜熱帯植物の生い茂るロードパークを下って、岬先端までジャングル遊歩道が続く。
縁結びの神社としても有名な御崎神社にも多くの人が訪れている。
ここ大隅半島は、対岸の指宿方面のように派手さは無い観光コースだ。
しかし、錦江湾をはさみ、対岸の薩摩半島に夕陽が沈む瞬間は超絶景だ。
今日はあいにく雲がかかり、美しい夕焼けは見られなかった。
薩摩富士(開聞岳)にお別れをしたひと時だった。
桜島の噴火
★桜島の噴火状態と山の姿は刻々と変化する
05.5.29 この日は噴火していない桜島の姿を撮影できた。珍しく晴天の姿。
fot:05.5.29
2年後は噴火が激しかった。
高倉健主演の映画(ほたる)ロケ地辺りからの撮影
fot:07.5.7
垂水フェリーからの桜島 噴煙は北風にのって・・ fot:08.10.21
秋風が吹いてきた頃の桜島、道の駅・垂水より撮影 fot:11.10.10
晩秋の風にのって噴煙は激しく上がる fot:14.11.16
どど~ん、急に噴火したので車を停車して撮影 fot:15.3.29
穏やかな桜島は珍しい fot:16.10.13
2018の夏は鹿児島市内に降る灰も今年は全く感じなかった。
鹿児島湾西岸の市街地から桜島を望む景観が、
「東洋のナポリ」と称される。
fot:17.8.18
仙厳園庭と水族館から撮影したが雨上がりで見えない fot:18.4.6
もし晴天ならこんなきれいな桜島
龍馬も訪れた霧島の温泉宿
また訪れる機会があった霧島観光。
以前は、霧島神社から山を下って、海岸までたどり着いたことを書いたが、
今回は逆に国分あたりから霧島連山方面へのドライブコースとなる。
fot:16.10.11
兄弟が揃って写真を写す(一組足りないが)ことは普段無い事で、
また、全員揃って旅をするのは珍しいことかもしれない。
日本最初の新婚旅行と言われる坂本龍馬の足跡を探すが見つからない(笑)
ここは新婚旅行で訪れた霧島の温泉宿の跡で、塩浸(しおひたし)温泉。
昔の事だから道なき道、山深い場所だったに違いない。
京都伏見の寺田屋で刀傷を負った坂本龍馬は、
妻とともに訪ねた薩摩への旅。
塩浸(しおひたし)温泉龍馬公園となっていた。
彼らはしばらく逗留して旅の疲れを癒やしたそうだ。
fot:16.10.12
上野原縄文の森にて縄文時代、9500年前の実りの秋の様子を見たり、
古代人間の営みや地形の変化を見学した。
南九州独特の土器などが見たり、定住化の頃の家屋体験もしてみた。
(霧島市国分上野原縄文の森1番1号)
細い自動車道を国分あたりから霧島連山目指して上がって行く。
鹿児島県では最古の木造駅舎で、国登録有形文化財となっている無人駅。
1903年の肥薩線開通から利用されている駅らしい。
テレビ番組でも人気のある観光スポットとなっているようだ。
週に一度だけ駅弁販売する日があり、すぐに売り切れるらしい。
fot:16.10.12
霧島牧場の休憩所から霧島連山を望む。
初めて出会った広大な地は、空気が澄んでイオンが満載。
ここは霧島だが、エアコンのCMに霧ケ峰♪という涼しさのイメージと同じ。
足湯もできてうれしい。
牧場ではジャージー種などの牛が飼育されている。
そのジャージー牛乳のソフトクリームの味は最高に美味しい。
霧島連山の景色には圧倒された。
二度目になるが、ここまで来たからには霧島神宮に参拝したい。
建国神話の主人公・ニニギノミコトを祀った神社。
朱塗りの印象的な社殿は、1715年に薩摩藩主の島津吉貴が建立したという。
この神社は、パワースポットとして人気があるらしい。
今風に言えばインスタばえと言うが、この時には新語はなかった。
アングルにこだわり撮影する人がいたが、パワーを込めていたのかもしれない。
fot:16.10.13
鹿児島湾西岸の市街地から桜島を望む景観が、
「東洋のナポリ」と称される。
観光バスの中から写した1枚の写真。
桜島の風景写真は、いろんなものがあるが、
このような場所での撮り方は珍しいのではないのかな。
もちろん自分の発想での撮影だからとても気にいっている。
fot:16.10.13
今回は、鹿児島に1週間も滞在したが、
何度来ても飽きのこない好きな所だ。
また違った九州も堪能してみたいと思う。
そんな贅沢ができるわけでもないのだが、
希望と夢は無料なんだから(笑)
霧島高原まほろばの里
足湯で疲れを取りながら食べた温泉たまごの味を思い出しながら
再びハンドル握り先へ進む。
まだここは高原の位置になる。
坂本竜馬も新婚旅行で訪れたであろうこの道。
魂をゆさぶられるほどきれいな霧島の風景を見る。
日本ジオパークに認定されているエリアとあって、
道行く先々に見たいところが沢山あり、なかなか先へ進めない。
fot:15.3.29
まほろばの里の看板を見たので右折して上へ登る。
レーシングカート、グラウンドゴルフ場、天然芝スキー場などの
スポーツ施設や陶芸体験、ガラス工芸体験など多種多様な施設がある。
天然芝スキー場では、子供たちがソリにまたがり、
坂を下ってスリルを楽しむように遊んでいる。
いいな、若いって。
fot:15.3.29
天然芝スキー場などの道具の用意も沢山準備されている。
ここへ子供を連れてくると、一日中は遊べそうだ。
見てください、陶芸体験、ガラス工芸体験などの入り口には、
まるで信楽の里へ来たように 狸の焼き物が並んでいる。
それぞれがユニークな顔をしている。
ちょうどタイミングがよく芝桜が満開だった。
九州最大級約250,000株の芝桜園「芝桜の丘」のオープン日。
223号線を走り、(山下りという感じ)「隼人」方面へ。
早く山を下らないと目的地までには、夕方になってしまいそう。
でも、欲張って まだまだ見物したいところがある。
★この途中には坂本龍馬が入浴した温泉がある(今度書こう)
鹿児島神宮の大鳥居の前で駐車して本殿へ上る。
初めて訪れた昭和52年の6月は梅雨時でじめじめした気候だった。
境内の隅で飼育していた白馬を見たのが懐かしい。
馬房は何年も過ぎて、今では廃墟と化している。
境内の桜が満開で華やかさを添えてくれたが、
建築物は老朽化して色あせ、霧島神宮のような鮮やかさはなかった。
よく調べてみると大隅地方の一ノ宮とされる神社とわかりました。
全国正八幡の本宮でもあるというから歴史と由緒を感じさせる。
fot:15.3.29
ヒコホホデミノミコト(山幸彦)とその御姫・豊玉姫を主神とし
漆塗りの現神殿は宝暦6年(1756)、島津重年公により再建され、
本殿は木造建築では日本一の広さだということだ。
また、鹿児島神宮に伝わる文書(もんじょ)は
昭和62年3月16日に県の登録有形文化財(古文書)に指定され、
本殿・拝殿・勅使殿は平成2年3月23日に
県の登録有形文化財(建造物)に指定された。
御神馬を先頭に鈴かけ馬が踊る初午祭は全国的に有名な神社。
先ほども書いたが、馬房に白馬は飼育されていなかったので残念。
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★テレビでもしばしば取り上げられる鹿児島の巨大スーパーマーケット
「AZスーパーセンター」は海岸沿いにある。
市内から離れた悪条件の立地で、かつ効率の悪い品揃えにもかかわらず、
よく売れているのは、無駄を抑え、
究極の低コスト経営を実践しているから。
店名はAからZまで何でも揃う店という社長の哲学があるようだ。
風呂釜やだるま、車も販売されている。
お客さんの要望を聞いていたら、何もかも揃ってしまったようだ。
店の横幅が200m、奥行き100mの巨大スーパーに度胆を抜かれる。
さ、夕刻が迫ってきたので、急いで桜島を抜けて、
大隅半島方面へGO!
↑今回の旅コースは3回に渡り霧島編だった
温泉水丸尾の滝&霧島温泉市場
fot:15.3.28
霧島連山の澄んだ空気を吸ってるだけでドライブの疲れが取れる。
この場所は、道の駅「霧島」神話の里公園。
標高680mに位置し、錦江湾、桜島、開聞岳まで一望できるらしい。
惜しいかな鹿児島市方面はガスがかかって見えない。
遊覧リフトやスーパースライダーなどアトラクションも揃い、
道の駅では地元物産の販売、レストラン「ほっと霧島館」では、
霧島黒豚料理などの霧島特産の味覚を楽しむことができる。
ブルーベリーを栽培している観光農園もあって、
高千穂のふもとに広がる、交流スポットとなっている。
ドライブの休憩にはもったいないくらいの場所かもしれない。
山登りは小さな電車で巡るのが人気。
次へ行ってみよう。
温泉水の滝「丸尾の滝」 fot:15.3.28
標高の高い霧島神宮からの国道223号線沿いは、霧島の有名な温泉地帯だ。
丸尾の滝を見物しようと車を走らせるが、土地勘不案内で見当たらない。
狭い道路をすれ違う車に注意しながらカーブを曲がったとたん、
眼前に滝が現れたのは、水しぶきをあげる丸尾の滝!
なかなかスリル満点の滝探しだった(笑)
駐車場も無く、見物人のバイクの横に停止して、ちょこっと見物。
丸尾温泉、林田温泉、硫黄谷温泉の温泉水を集めて流れる珍しい湯の滝。
丸尾の滝は、高さ23メートル、幅16メートルの豪壮華麗な滝だというが、
スケールとしては、かわいいもんです。
秋は飛沫が紅葉に映え、冬には滝から湯けむりが立ち上り、
美しい情景が見れるそうだが、今は桜に囲まれて華やかだ。
山峡に豪快な音と飛沫を上げて落下する乳青色の滝は、
その色だけでも独特の雰囲気を漂わせていた。
次は 少し下った所の霧島温泉市場 fot:15.3.28
卵やトウモロコシなどを温泉の湯気で茹で上げる窯がある。
足湯をしながら、茹で上がった温泉卵の味は格別。
スピードを上げて下っていたら見逃してしまいそうなお店だった。
しっかりと頭の中と目に焼き付けておこう。
桜を求めて神戸から霧島へ
fot:2015-04-01
神戸を出港して12時間が過ぎた頃に、宮崎の景色が見えてきた。
朝の宮崎港は殺風景だが、桜がきれいな姿で迎えてくれた。
船から愛車を降ろし、宮崎自動車道を走り、高原インターで降りる。
のどかな朝の風景を見ながら、見知らぬ道に不安感を覚える。
犬の散歩をしている女性に道を尋ねて一息。
あの峰の向こうに希望がある♪
右の方向には新燃岳という活火山がある。
今から神々の声が聞こえてきそうな霧島神宮を目指す。
あの高い高千穂峰に沿って山登りはゆっくりとしたペース。
霧島神宮の境内には桜が満開。
坂本竜馬が薩摩への新婚旅行で立ち寄ったとされる
峠の景色が眺められる展望台へ立つ。
閑寂な老杉の濃い緑に包まれた参道・境内を抜けると、
格調高い朱塗りの社殿の荘厳かつ豪華絢爛な姿があらわれる。
後で気がついたのだが、ここまで歩いて登ってきたが、
この横には駐車場があったのだ(ぎゃふん)
鳥居の下でお辞儀する。
お清めの手酌の作法から入り、2礼 2拍手 1礼・・・
お賽銭の音が静寂を破った、、
ちゃり~ん。
彫り物や絵柄が素晴らしい。
参拝客が多く土産店や休憩所を建て増していた。
神戸より一足早い桜の満開、やはり南国だね。
国歌の詩にある「さざれ石」とはこんな感じ
な~んだ、石か と言うなかれ。
実物も初めてだし、意味も知らずに歌っていたことを恥じている。
日本国民の誰もがそうかもしれない。
霧島神宮の参道で発見した石碑。
こんもりと小さな石が寄り集まっていた。
有難い気持ちになった瞬間だ。
★霧島神宮とは
建国神話の主人公である瓊々杵尊(ニニギノミコト)を祀った霧島神宮は、
創建が6世紀と古い歴史を誇る神社。
最初は高千穂峰と火常峰の間にある背門丘に建てられたというが、
霧島山の噴火による焼失と再建を繰り返し、
約500年前に現在の場所に移された。
現在の社殿は島津氏第21代当主(第4代薩摩藩主)島津吉貴が、
1715年に建立・寄進した。年間100以上の祭儀が行われ、
中でも毎年元旦と2月11日に本殿で奉納される九面太鼓は、
勇壮な郷土芸能として県内外から注目を集めている。
●以上は、検索で得た内容
旅のお目当ては土産物が上位にランクされる。
みんな買いたいと食指が・・・
見定めているうちに時間が無くなった、次へ急ごう。