武家屋敷庭園・特攻平和会館
★JR鹿児島中央駅から知覧方面へ
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JR鹿児島中央駅前には、若き薩摩の群像が建っている
文久3年(1863年)薩英戦争で西欧文明の偉大さを痛感させられた薩摩藩は、
慶応元年(1865年)、15名の留学生と4名の使節団を英国に派遣した。
幕府の鎖国令を破っての派遣だったので、全員変名を使って、
甑島(こしきじま)大島辺出張という名目で、
慶応元年(1865年)4月17日、串木野市羽島浦から
英国貿易商グラバーが用意した蒸気船オースタライエン号で、
密かに英国に旅立った。
約2ヵ月後の6月21日にロンドンに到着した学生たちは、
ロンドン大学に留学し、帰国後、外交、文教、産業等の分野で活躍し、
日本の歴史を大きく転換させ、新生日本を建設する原動力となる。
ゆっくりと走って約60分ほどで到着。
南九州市知覧町は「武家屋敷庭園」や「特攻平和会館」など歴史的な遺産が残る。
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しっとりとした雰囲気が漂う武家屋敷通りを歩いてみた。
知覧武家屋敷庭園一帯は、国の「重要伝統的建造物郡保存地区」に指定され
7庭園は国の「名勝」に指定されているらしい。
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江戸時代にタイムスリップした気分になれる。
天璋院篤姫ゆかりの地として知られる
総人口に対する武士の比率が大変高い土地だったらしい。
1871年(明治4年)の人口比で武士が26%というから相当高い数字だ。
藩は、領内を区分けして武士を分散させて居住させ、
軍事的な拠点を複数作ると共に農民や漁民を効率的に支配していた。
藩主の居城(内城)に対して、分散させた拠点を外城と呼び、
外城内の領民は有事の際、戦さに参加することになっていた。
それぞれの外城が内城を守る役割を担っていたそうだ。
このような外城は「麓」とも呼ばれ、
現在もその面影の残る「出水麓」、「入来麓」など数多く存在している。
整然とした美しい町並み、母ヶ岳の優雅な姿を借景に取り入れた
武家屋敷の庭園の佇まいが、薩摩の小京都とも言われ、美しい武家町である。
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知覧特攻平和会館へも行ってみた。
太平洋戦争末期、知覧には陸軍の特攻基地が置かれ、
ここから若き勇士が南へ飛び立って行った。
ここには、陸軍特別攻撃隊員の遺影、遺品など貴重な資料保存・展示している。
特攻までの時を待ち、暮らした三角兵舎内。
若き戦士の数々の遺品が展示されている。
ボロボロになった当時の戦闘機。
知覧特攻平和会館は、戦争の悲惨さを知ることができるが、胸に詰まる。
特攻の母「鳥浜トメ」が営み、隊員達との交流があった「富屋旅館」。
映画「ほたる」のシーンにも登場した旅館。
今も素泊まりができる旅館として営業している。
特攻隊に感動の涙を拭い、車のハンドルを握る。
そこには広々とした爽やかな緑の畑が現れた。
全国で最も早く新茶が出荷される鹿児島県(かごしま茶)。
中でもここの知覧茶は名が知れ渡っている。
お茶処知覧ならではのご当地メニュー「知覧茶グルメ」。
ドリンクやスイーツ、さつまあげから定食まで豊富なので食べてみたい。
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鹿児島中央駅へ戻る途中に立ち寄った平川動物園
緑に囲まれた自然の中で、楽しく、遊びながら動物の生態を観察したり、
動物とのふれあいを通じて、自然保護や動物愛護の精神を学べる 。
像の餌やり時間に間に合ったがよくたべるねぇ。
鹿児島市街地から車で指宿方面に30~40分の所に平川がある。
スポーツ選手が護摩行をすることで有名なお寺だ。
野球の清原とか金本、新井選手などが護摩行に挑戦したテレビ放送もあった。
高野山真言密教系のお寺で広い境内には、本堂の御本尊・不動明王を始め
様々な仏様が鎮座する。
境内の奥にあるお堂には世界一の木造の大財弁天様。
その高さが、なんと18.5メートルもある、世界最大の木造の像です。
遊び疲れてお腹が減った、、 さつま揚げが乗っかってるから揚げうどんかな。
鹿児島中央駅へ戻る途中の景色は南国ムード。
今日はこの辺でよかろうかい。