旅人になりたい

鹿児島の西日本最南端の西大山駅で開聞岳を見、宮崎青島の黄色いポストへ絵葉書を投函した思い出から始まる。

宮崎/道の駅 酒谷・飫肥城・油津港

★鹿児島から宮崎日南海岸

 

国道269号線沿いの弥五郎伝説の里を見学したら次へGO!

右方向の222号線へ入り宮崎・日南市油津漁港を目指す。

その途中に飫肥城があり、見学して油津漁港へ出るコースを選ぶ。

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     ▲夏の田んぼは青々とした稲が実っている。(画像は拝借したもの)

 しばらく車で走ると車窓の向こうに田園風景が見えてきた。

この辺りは日本の棚田100選に選ばれた「坂本棚田」がある。

この時、稲刈りのシーズンで家族総出で忙しそうだった。

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途中に「道の駅・酒谷」へ寄り道して遅い昼食。

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 道の駅 酒谷
〒889-2512 宮崎県日南市酒谷甲

お食事処「せせらぎの里」
店の周りにはお年寄りが揃いの法被を着て腰掛けて話している。

ボランティアの人にしては案内もしてくれない。

お暇な老人が集まっての井戸端会議かな。

そこが田舎らしい(笑)

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時計の文字盤が面白い。
古いメニュー札と新デザインの時計のミスマッチングも面白い。

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たまご丼でお腹がパンパン。
夜までに運動しておかないと困ったことになりそう。

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この頃は、プロ野球クライマックスシリーズで盛り上がっていた。

宮崎にも広島カープ西武ライオンズの後援会というか応援団があるのかな。

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道の駅というのは、ドライブで疲れた体をリフレッシュできる最適な所だね。

この道を選んで正解だったよ。

緑豊かな山々、綺麗な渓谷があり、

心和む風景が見られてよかったなぁと思う。

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飫肥には、歴史のある武家屋敷や、昔の風情が残る町に飫肥城がある。

歴史ある城下町の飫肥城を再び訪れて少しの時間ながら散策。

小柳ルミ子が歌った 私の城下町♪・・ がよく似合いそう。

ここは九州の小京都と呼ばれ、建築物など昔の名残が美しい街。

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 鎌倉時代曽我物語に登場する工藤祐経という武将がいたそうだ。

祐経は、源頼朝より日向国をはじめとして全国各地に所領を与えられ、

伊豆国伊東の地に居住したという。

その子である祐時は姓を伊東と改姓し、6代伊東祐持のとき、

足利尊氏より日向国都於郡(とのこおり)に所領を与えられた。

代々都於郡城を居城にその勢力を拡大し、1

島津氏の支配下にあった飫肥城を攻め取り48城を各地に配し、

日向国内に覇権を樹立。

しかし、天正5年(1577年)島津氏に敗れて豊後国に落ちたようだ。

その後伊東氏が大名として復活するのは、

豊臣秀吉に仕えた義祐の子・祐兵が、

天正15年の九州平定で功績をあげ、飫肥城を与えられてから。

以降280年余、飫肥藩(五万一千石)を伊東氏14代で治めたという。

その当時のきれいなお城と城下が残っている。

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飫肥城歴史資料館

 

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やっと油津へ到着。

昔は大変栄えた漁港で歴史のある有名な所だ。

現在はプロ野球・広島カープのキャンプ地として街を上げて応援している。

天福球場↓ (画像は拝借したもの)

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(画像は拝借したもの)

 広渡川河口から油津港を結ぶ「堀川運河」は、

飫肥藩飫肥杉の運搬を効率的に行うためにつくられた運河らしい。

1686年に飫肥藩主伊東祐実(すけざね)の命により

二十八ケ月の歳月をかけ完成したらしい。

 

平成4年には、堀川運河に架かる堀川橋を舞台に

映画「男はつらいよ寅次郎の青春」が撮影された。

髪結いの亭主におさまった寅さんの笑顔が思い出される

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戦時中、代用食として魚のすり身と片栗粉でうどんを作っていたそうだ。

戦後、すっかり忘れられていた懐かしい味を再現したうどん。

現地では食べる時間も無かったので、検索して画像も拝借している。

油津から日南海岸に出たので、宮崎市内を目指して運転して行こうf:id:tabibitokun:20180502184213j:plain