旅人になりたい

鹿児島の西日本最南端の西大山駅で開聞岳を見、宮崎青島の黄色いポストへ絵葉書を投函した思い出から始まる。

黒田官兵衛に関わった街・妻鹿

 

廟所を見学した後の ぷらっと歩き旅は「妻鹿街歩き」

妻鹿の街を歩くと、黒田官兵衛に関わる物や歴史を感じる建築物が多い。

妻鹿駅から海岸方面、中心街へと歩くf:id:tabibitokun:20180514121247j:plain

fot:2014.05.16 

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月松山という寺院からお経を読む声が聞こえてきたので門をくぐった。

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門をくぐると立派な構造の釣鐘堂がある。

戦争時に金属供出にあい、釣鐘は取られたが、

まもなく戦争が終わり、返されたというラッキーな釣鐘だ

 

この釣鐘は、黒田官兵衛が松原神社に寄進したとされている。

当時は寺社仏閣が同じように祀られていたが、

神社と寺を分離させることになり、この釣鐘をこのお寺へ設置したという。

ガイドさんから興味深い話が聞けて嬉しい。

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当時に植えられた樹木は年輪を重ね、立派な形で育っている。

庭の手入れもきれいf:id:tabibitokun:20180514105143j:plain

次は、少し先のこじんまりとした教念寺(浄土真宗)の門をくぐる。

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インド仏教の初期は、お釈迦さんの足裏の形を石に刻み、

それを拝むという行為をしていたそうだ。

なるほど、そうだったのか。

この教念寺の住職がインド仏跡の巡礼記念として

昭和4年お釈迦さんの足裏の石形を造ったそうだ。

 

石の溜め水があり、植物が生えて、メダカが泳いでいた。

細かいところにも手が加えられているなぁ・・。

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そしてまた街を歩く。

石壁と伽藍の似合う街並みが歴史を感じる。 

昔の広くない道幅神社仏閣が点在するという妻鹿が好きになった。

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昔から頑張っている散髪屋さんがあった。
看板とかシンボルのような物が見当たらない。

これは風流!

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その先を行くと、埋め立て跡で、ここから海や漁港が見当たらない。

ここに海の岸壁があって、昔は栄えた魚市場があったらしい。

妻鹿漁港魚市場跡の石碑だけが残っている。

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妻鹿と中村との境目に、大きな3個の石がある。

秋祭りの太鼓が鳴るたびに、3個の石が喜んで振動するそうだ。

ボランティアガイドさんによると、子供のころ大人から聞かされたが、

まだ動いた石を見たことも無いと笑っていた。

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秋祭りとは、日本三大喧嘩祭りと言われる松原神社の勇壮な祭りの事。