江戸時代の姫路城下を散策
2017-04-29の事を思い出している。
日差しが強くなった新緑の春だった。
姫路城の外濠跡から中濠、内濠へと歩く。
江戸時代の様相とは全く違うが、当時の町並みや道筋がわかった。
太平洋戦争で空襲を受け、町が消えても姫路城は奇跡的に残った。
その城をいただき 復活した姫路の現在の町並み。
江戸時代初期・築城当時の城主・脇坂藩から歴史の跡を辿ってみた。
姫路駅南にあった外濠から北へ歩き始めて、
フィニッシュ地点がお城となる。
まずは姫路駅から外濠跡まで行ってみよう。
外濠跡は、姫路駅北側の山陽百貨店の北側辺りだったという。
外濠から南は飾磨の海へ行く道になる。
そして、外濠から南側は町家だったようだ。
今立っているこの地点は飾磨津門が構えられていた。
では城に向かって北へ北へと歩いてみよう。
夏の名物・姫路のゆかたまつりが始まった由縁ある神社。
辻の一角にたたずんでいる小さな社。
ゆかたまつりについては、エピソードがある。
お城を開放して町民も藩主もまつりを楽しんだという。
開かれた藩主だったようだ。
場内へといっても、外濠から少し入った場所なんだろう。
今では夏の大きなイベントとして人気のお祭りだ。
足を北へ進めると昔の西国街道の辻に出た。
ここは「札の辻」という場所で、高札場があった所。
後ろを振り返ると歌舞伎「お夏清十郎」で有名な お夏の生家跡がある。
その前には米屋跡がある。
清十郎は米屋の手代として働いていたが、
お夏と恋に落ち、許してもらえなかったので駆け落ちをする。
悲しい結末となる主人公たちの物語。
興味があれば検索で調べていただきたい。
お夏の屋敷跡と対峙して、もう面影は無いが清十郎の職場の米屋跡がある。
商店街のアーケードには徳川家の譜代大名・本田家の家紋をはじめ、
歴代姫路城主の家紋が並んでいる。
丸に十は、キリスト教信者の黒田官兵衛(ジョスイ)の家紋もある。
黒田家は戦国の世から、砦として最初から姫路城に住んでいた人物。
黒田官兵衛(ジョスイ)は、秀吉の命で九州へと移住することになるが、
黒田藩と言えば、大きな勢力を持つ大名となる。
現在の国道2号線に面する姫路城への中門跡の石垣。
お城へ入るまでには、いくつかの門を通過する。
ここは中ノ門跡。↓
現在、バスが通っている国道2号線が中濠だったようだ。
現在、西から東へは一方通行。→→
曲者が姫路城へ侵入するには、中門などの厳しい所があるので難しい。
すごいお城だったようだ。
やっとお城の見える広場へ到着できた。
現在、広大な広場や土産物店があるが、
昔は家老屋敷が建ち並んでいたらしい。
B1フェステイバルのイベント会場に利用された広場でもある。
週末とあって外国人を含む観光客が押し寄せていた。
GWにはもっと混雑することになるだろう。
1時間近くかけて、やっと大手門にたどり着いた。
サムライのボランティア仲間に入りませんかと誘われた。
それは無理だが、武者姿の人がいるだけで観光客は嬉しいね。
何度見てもうっとりするきれいなお城だこと。
JR姫路駅からの距離を考えれば、かなりの距離がある。
さっさと歩いても15分はかかる。とてつもなく大きな城だったのですね。
世界遺産だけのことはある。
もっと知りたい姫路城。