姫路城の石垣巡りは面白い
2017-04-29 の事を思い出して書いている。
★ちなみに世界遺産・国宝姫路城は2015.4.9に改修を終えて完成した
姫路城の石垣積み技法の歴史を知りたいと思いつきました。
城内へ足を踏み入れず、外から城壁をぐるりと回ってみよう。
三の丸の芝生広場から天守の見える位置に沿って東へ進む。
いたるところに季節の花が満開
姫路城には様々な石垣積みの痕跡があります。
ひとつには羽柴秀吉時代の古い石垣です。
しいて、言うなれば黒田官兵衛が作った石垣のことです。
中国の毛利を攻める頃の石垣はこんな感じでした。
大きな石の間に小石を詰めて崩れないように積む工法。
石の組方が雑で詰石が多いのが特徴だが、上手な技量が無かったと言えます。
その積み方を「野づら積み」と言う。
姫路城にその場所が残っています。
関ケ原の戦いが終りって徳川幕府となり政情が安定した頃から、
四角い石が整然と組まれるようになります。
しかし墓石や石棺など思いもしない石も組まれています。
その石積み工法から戦国時代以前か以降かがわかります。
濠と石垣の関係もよく考えて造られています。
濠は前方から敵が攻め込んできても止められることができます。
姫路城の濠の入り組みがあるのは前進を困難にするためのものです。
ここは天守閣の前なので堰きとめています。
しばらく歩いて、東面辺りへきました。
ここで石垣造りのフォルムが右角途中で曲がっています。
疑問に思いましたが鬼門ということを考えての事らしいです。
丑寅の方向(北東)は鬼が出入りするので鬼門筋になるので、
石垣造りのフォルムを途中で曲げているのではとのことらしい。
もう少し前進すると城の北側辺りへ差しかかります。
石垣が真っすぐ伸びているが、途中ででこぼこと突き出しています。
これは敵の攻撃をひるます為のものらしい。
出っ張りの所から横鉄砲や横矢を打てるように組んだ石垣らしい。
石垣のでっぱり
城の北側から望む
お城の外を東回りに歩いて西側の好古園の白壁までたどり着く。
その左手にお城が見えてきますが、石垣に変なものが見える。
いま歩いて来た道を振り返って右にお城を見る。
石垣は、いつも見ているけど、気がつく人は少ない。
へそのような枠組みは 一体何でしょうか。
お城で暮らす人たちの生活排水管らしい。
ぼんやりと歩いていては発見は無いのですね。
歓迎してくれているように、のんびりと鵜が泳いでいました。
散策が終わったと同時に、地面に叩き付けるような大雨が降ってきたぁ~~
お土産店には、雨をしのぐ観光客で溢れていました。
きっと商売の邪魔になったことだろう。