朝鮮通信使も寄港した室津
潮待ち 風待ちの港・室津
713年播磨国風土記には、このように書かれている。
「此の泊 風を防ぐこと 室の如し 故に因りて名を為す」
と記されているように、三方を山に囲まれ、古来より天然の良港として有名だった。
http://www.iokikai.or.jp/siomatinominato.murotu.html
↑とても参考になるURLを拝借した ここに詳細な事がまとめられている
江戸時代になり、1607年 第1回の朝鮮通信使の船が来た。
姫路藩は室津で厚遇な接待をし、藩の公共投資により
室津は国内有数の港町として発展して行くことになる。
朝鮮通信使とは
朝鮮国が徳川将軍の代替りや世継ぎの誕生などの際に、
朝鮮国王からの国書を携えて、派遣された正式の外交使節団のこと。
朝鮮国からの通信使は、室町時代足利将軍にはじめて派遣され、
豊臣、徳川へと続いた日朝友好の証し。
16世紀末の秀吉の朝鮮出兵後は、しばらく途絶えたが、
江戸時代 1607年(慶長12)には、467人の使節団が到着し、再開。
合計12回の使節団が日本に到着している。
最後、1811年5月22日(文化8)の通信使は対馬で応対している。
室津海駅館には、接待時の食事の一例も展示されている
「室津海駅館」は町に入った所にある。
朝鮮通信使の展示資料があり、詳しく学ぶことができる。
http://kobe.travel.coocan.jp/tatsuno/murotsu.htm
賀茂神社(かもじんじゃ)
清楚で優雅さを兼ね備えた社殿は、平安時代の姿をうかがわせる。
兵庫県たつの市室津明神山にある神社のことで、
美しい播磨灘に面して鎮座し、本殿を含めて8棟の建造物が
国の重要文化財に指定されている。
境内に繁殖する蘇鉄は、野生では日本列島の北限として
2020年(令和2年)に訪れた時は、社殿の改修が完成し、
檜皮葺屋根や銅板などが光り輝いていた。
1826年、江戸参府時にシーボルトが訪れ、
参籠所から播磨灘の展望を絶賛するなど景勝地としても有名な所。
現在、寿司・まるよし の手前に本陣があった。
リーズナブルな価格と笑顔の優しいまるよしの大将、昼ご飯に立ち寄ってみたい。
1635年、参勤交代が制度化されると西国大名は海路で室津に寄港。
諸大名が宿泊する本陣が六軒、脇本陣を兼ねた豪商の邸、宿屋、
揚げ屋、置屋など、軒をつらね「室津千軒」の賑わいだったという。
陸路で江戸へ向う大名行列は大変な混雑ぶりとなったそうだ。
小藩で200名、大きな藩になると400人を数えたという。
北前船も続々入港、景気の良い活気を町にもたらす。
室津は、遊女発祥の地としても有名だが、
歌舞伎や浄瑠璃に出てくる「お夏清十郎の舞台」としても知られる。
ラジオ関西 のパーソナリティ谷五郎さん、中野涼子アナウンサーと室津散策