旅人になりたい

鹿児島の西日本最南端の西大山駅で開聞岳を見、宮崎青島の黄色いポストへ絵葉書を投函した思い出から始まる。

須磨寺 平敦盛に会いに

何年か前の記憶をたどります↓

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播州路に涼しい秋がやってきました。

あちこちで祭りのお囃子が聞こえています。

でもまだ、昼間の太陽は頭が焼けそうに熱い。

妻を誘って須磨寺散策したあの日。

もう一度、一緒に歩きたいが、叶わぬ夢のあと。

 

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山陽電車須磨寺駅で降り、寺への傾斜道を歩きます
源平ゆかりの史蹟がたくさんある須磨寺
NHK大河ドラマ平清盛」で賑わいました。
毎月20日と21日のお大師さんの日は須磨寺駅から
参道沿いに屋台が出て、参拝客で賑わいます。

商店街の店をひやかして通りぬけるのもまた楽し。
お香などを売ってる店先で、テレビ取材の時のPOPが目につきました。
テレビ番組・せのうさんのルポ「せのブラ」の記念写真がありました。
店主は嬉しそうに当時の模様を話してくれました。
漫才「ますだおかだ」の増田さんのルポ、ちちんぷいぷいのときの取材、
NHKの取材など、過去には沢山取材に来てるんです。
店主が自慢したいはずです(笑)

 

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須磨寺真言宗のお寺。「須磨のお大師さん」として親しまれている。
正式には上野山・福祥寺と言うそうです。
歩き出して約5分で両側に仁王像が立っている仁王門に到着。
一礼して仁王門をくぐると、本堂に続く参道があります。

 

六甲山系の水が汲める弘法大師の岩があり、そこの柄杓で手を清めます。

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$趣味あれば★楽あり

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ペットボトルを数本持参したおばちゃんがいました。
飲んでみるとサラリとした美味しい水でした。

 

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少し進むと左側に「源平の庭」があり、
平敦盛熊谷直実が一騎打ちをしている像があります。

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平敦盛のことを調べてみました

平敦盛は1169年に誕生。
平家棟梁の平清盛の弟の平経盛の末子になる。
 
平家一門が皆、官職に就いていく中、平敦盛だけ無官であったために
「無官大夫」と呼ばれている。
平家が順調に栄え、敦盛も長生きしていれば官職に就くはずだった。
 
敦盛は笛の名手だったようだ。
祖父の平忠盛鳥羽天皇からもらった笛は、
父・経盛に渡り、それを敦盛が譲り受けた。

17歳の敦盛は一ノ谷の合戦で、敵将・熊谷直実に討ち取られるが、
その時、敦盛と名乗らなかったので、誰の笛かわからなかったそうだ。

後で敦盛だったとわかり、笛は敦盛の父である経盛に返されている。

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須磨寺は「一ノ谷の合戦」後、平家一門の菩提所となりました。
敦盛の首塚など境内にはいろいろな史跡があります。

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庭に「わらべじぞう」の置物があり、何とも可愛い姿です。
願えば悩みを解決してくださる「お地蔵様」だという。

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亀を触りながらお願い事をすると、願いが叶うという有難い物もあります。
なんと至れり尽せりのお寺だこと^^.

 

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源平合戦のシーンを小石を使い人形を作って見事に再現。
デザイン感覚の優れた器用な人なら、作ってみたくなるでしょうね。

須磨寺は、平安時代の初め漁師が和田岬の沖で引き上げた聖観音像を、
仁和2(886)年に聞鏡上人(もんきょうしょうにん)が
須磨の地に移したことが始まりとされています。
平敦盛遺愛の「青葉の笛」や「弁慶の鐘」さらに「敦盛首塚」や
義経腰掛の松」など、多数の重宝や史跡があり、
付近は古くからの門前町として知られています。

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境内には至るところに楽しませてくれる物が設営されていて
参拝客を飽きさせません。

$趣味あれば★楽あり

 

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ミナト街神戸の中心部より、山陽電車で西へ約20分。
源平の古戦場や須磨ビーチ、須磨浦山上遊園など
歴史と風光明媚な須磨の地にある「須磨寺」。

サラリと見学しただけなので、
歴史を紐解く時間がまだまだ欲しいところです。

ああ、なんと時間のかかるブログを書いてしまいました^^/

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清盛は出家後の1169年、福原に移り住みました。
大輪田の泊を国際貿易港に修築し、日宋貿易拡大に取り組みました。
1180年に天皇上皇らが福原入りし、清盛は都造りに情熱を注いだが、
内乱の広がりで遷都は未完のまま終わりました。
もし、このまま神戸が栄えていたらと思うと、残念な結果です。
歴史は、ちょっとしたことで、とんでもない方向へ行ってしまいますね。
あの時こうだったら、こうしてればよかったのに・・・
胸がワクワクするような歴史、その振り返りも楽しいものですね。