旅人になりたい

鹿児島の西日本最南端の西大山駅で開聞岳を見、宮崎青島の黄色いポストへ絵葉書を投函した思い出から始まる。

広島・呉へ行きたい

呉の大和ミュージアムへ行った時の写真

 

第2次世界大戦後の4年目に生まれた私。

戦争を知らない子供たちです。

しかし、子供の頃は食卓を囲むと父が毎日のように、飽きもせず

戦争体験を語ってくれたので海軍の大体の事は想像できる。

訓練、食事など船上での暮らしぶりが感じ取れた。

その話を飽きもせず聞くのも楽しかった昭和30年頃の時代でした。

 

97歳で亡くなった父には、もっと聞いておきたかった事が沢山ある。

父が元気な時に呉の戦艦大和ミュージアムへ誘った。

とても懐かしんで、私が子供の頃に語ってくれたように

嬉しそうにくどくどと解説してくれたものです。

軍隊体験者にしか分からない懐かしい思い出なのだろう。

第2次世界大戦当時、招集令状が届いた時の初年兵の父が体験したのは、

呉の軍港で戦艦大和の装備品製作に関わったという事実。

図面を見ながら旋盤などを駆使し機関砲を作ったそうだ。

テレビでドキュメンタリーを放映することがあった。

それを観た父の感想は、あれは? これは?

事実とは違う、真相はこれだ!

体験した事実とは裏腹な内容が放映されていたようだ。

テレビ局へ電話しても取り合わないとのことだった。

海軍工廠その後、輸送船の任務に着き、日本近海、海外へ赴いたそうだ。

敵機B29に発砲したこともあったようだ。

一番狙われやすい輸送船なのだが、幸いにして生き延びた。

 

まもなく釜石港に入港出来ると喜んだのもつかの間、

当時の製鉄所の煙突が破壊されて1本も無いのが見えて驚いたと言っていた。

昨日、アメリカ軍の空襲にあって街は壊滅していたとのこと。

呉の軍港で共に働いた戦友たちの多くは、戦艦大和の乗船を志願した。

戦艦大和は沖縄近近で攻撃を受け、戦友の全てが戦死している。

何度も命拾いしたと言っていた。

 

大和ミュージアムとは
戦艦「大和」の巨大模型は迫力満点
日本一の海軍工廠のまちとして栄え、戦艦「大和」を建造した軍港、
呉の歴史や造船・製鋼を始めとした科学技術を紹介する博物館。
館内には、戦艦「大和」を10分の1スケールで再現した巨大模型が展示されており、
間近で見学することができます。
船を中心とした科学技術の原理を体験・体感を通してわかりやすく紹介している展示室のほか、零式艦上戦闘機六二型(ゼロ戦)などの貴重な実物資料を展示した大型資料展示室もあり、呉の歴史・呉の技術、そして平和の大切さを学べる施設になっています。


大和ミュージアム付近の美味しいランチ
●呉龍 麺が独特! 
●珍来軒 呉名物である、呉冷麺の行列店 
●福住 フライケーキ 呉の伝統的なお菓子の「フライケーキ」のお店 
エーデルワイス洋菓子店 呉本通店 プルンプルン♪地元人自慢のクリームパイ
●モリス 
●麺処 いつか 
お好み焼 めいじ 
●maya.

●呉 ハイカラ食堂のカレー