旅は恋人

青島の黄色いポストからあの人に絵葉書を出してみた。次はどこから出せるだろう。

現代アートの「直島」は面白い

香川県の「直島(なおしま)」をご存知でしょうか?

 

神社仏閣派や歴史探訪派、美食と絶景スポット派など

旅にはいろんなジャンルがありますが、

現代アート巡りも楽しいものですね。

直島へは岡山県側の宇野港からフェリーで20分ほどで到着します。

香川県側の高松港からはフェリーで約50分くらい)

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宇野港まではドライブですが、駅前・宇野港前はすでにアート状態

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宇野港からのフェリー

 

観光したのは2012.7.15の真夏でした。

あれから8年も過ぎていますが、益々人気があるようです。

娘に誘われて♪「島フェスティバル」♪に参加することが目的でした。

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若いミュージシャンたちの音楽の競演を見届けて、

同時に観光スポットもバスで巡りました。

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直島は1990年代から現代アートによる町おこしが成功し、
人口3200人程度の島には、世界中からアートファンが押し寄せ、

人気の観光地になっています。

「ドバイ」や「パリ」などと並んで「死ぬまでに行きたい場所」として人気スポットになっているとの噂です。

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直島は広い島なので、徒歩での観光より、バスかレンタサイクルを利用するのがおすすめですね。

 

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ギフトショップ

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★「まるごとアートな島」と言われて
島のあちこちにアート作品が点在しています!

個性的な建築デザインの美術館をはじめ、家屋、銭湯、宿泊施設など
他では見られないアート空間の島なんです。

 

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島に着いて一番最初に目に飛び込んで来る作品は、

フェリーが到着する宮浦港のすぐ近くにある

草間彌生さん作の赤と黒の水玉模様が特徴の「赤かぼちゃ」です。
どんと鎮座する姿は、存在感がありましたね。

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黒い丸かと思えば窓もありましたね

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草間彌生さんの「黄かぼちゃ」もありました。

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海岸での砂アートも楽しそうでした

 

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家プロジェクトと言って民家を利用し、まるごとアートにする。

路地を通るとそこにもアートがあるなど飽きないですね。

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単なる漁港の風景もアートにしてしまう

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★直島銭湯「I♥湯」

現代アーティスト大竹伸朗さんの美術作品、外装も楽しいが、いいお湯でした。

 

時間があれば★李禹煥美術館へも行ってみたい

美術作品 現在、欧州を中心に活動している国際的評価の高い
アーティストと建築家・安藤忠雄氏のコラボレーションによる美術館も面白い。

 

あちこちに見逃せないアートがある

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海岸にある鳥居の上には、石ころが沢山乗っていました。

これもアートなのかな。

 

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★豊島も直島と同じく香川県の島で、直島に次いで人気の場所です。
豊島へは香川県側の高松港からはフェリーで約35分、

岡山県側の宇野港からは約40分くらい。
直島から豊島への航路もありますが、

直島行きよりも便数が少ないので、やや不便かも。

 

★途中からフェリーの旅も面白い

伊勢鈴鹿の 東海道53次の「関宿」

遠くへいきたい

と思って、少しづつ旅を楽しんでいます。

 あの時も昔の街にタイムスリップしました!

伊賀上野・忍者の里をあとにして着いたのは、

伊勢鈴鹿東海道53次の関宿、江戸から47番目の宿場町。


江戸時代は、参勤交代や伊勢参りなど多くの人や物が行き交い、
1日に1万人もの往来があったとも伝えられている関宿。
多くの宿場町が姿を変えていくなか、唯一歴史的な町並みを残し、
重要伝統的建造物群保存地区に選定されているのは素晴らしい。

江戸時代そのままに、ちょんまげ姿の旅人が歩いているように思える町。
ごく当たり前の日常の時間が流れている。

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本陣跡や高札場跡もそのままです。

 

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町並みを撮影しながら、江戸の旅人の着物をまとってみました。

森の石松柳生十兵衛も、ふらりと、ここに立ち寄ってはいないかな。

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郵便局の建築も当時の建物を使用していました。

 

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重要文化財であり生活の場であるこの街道筋は
お店も江戸時代そのままに改築するそうです。
レトロは看板が懐かしい。

 

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今の時代では、便利な生活でもないのではと思うのですが。
昔ながらの建築の家は、冷たい風がが素通りしそうです。

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小腹が空いて、串団子がとてもおいしかったです^^。

夕方になると提灯の明かりの下で、
「お客さん、うちの宿に泊まってらっしゃ~い」と 
客引きの声が掛かってくるような雰囲気の通りでした。  

 

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生活感は現代と同じなのに、不思議な感覚でした。

二見浦の夫婦岩と鳥羽

伊勢参りは、まず先に二見浦の夫婦岩を訪れて、

心身を清めてから伊勢神宮へ参詣するのが正しいらしい。

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日の出の夫婦岩の風景は神々しいが、
15時過ぎの夫婦岩は、そんなロマンも感じにくい。
それでも、岩のはるか向こうには、
西の方から差す太陽の光が水面に浮かんで眩しい。
撮影時は逆光線になりかねないので、
アングルを確かめながら綺麗に写そうと試みた。

写真に収めるのも観光の楽しみなので。

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夫婦岩は、古来より日の出遙拝所として知られてきたらしい。
沖合の約700m先には猿田彦大神縁りの興玉神石(霊石)が鎮まり、
そこは降臨する神の依り代であり、
常世の国から神が寄りつく聖なる処と言われてきたという。

 

夫婦岩はこの興玉神石と日の出を遙拝する鳥居とみなされ、
男岩は高さ9m、女岩は高さ4mで、
夫婦岩を結ぶ大注連縄(おおしめなわ)は、
1本の長さ35mで男岩に16m、女岩に10m張られていて、
その間は9mある。。

海岸沿いの施設内は売店が並んでいる。

ぶらりと歩いてショッピングする観光客が多く、

冷やかしで歩くのも面白い。 

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歩き疲れて、海の見える宿に入る。

宿の名前は海喜園(かいきえん)という。

日が暮れると、湾の彼方に、漁船の漁火がホタルのように輝いている。
夜も伊勢・生浦湾の眺めは素晴らしい。

 

宿が漁師なので魚が特に美味しい。
牡蠣ご飯を2杯もおかわりできて大満足。

 

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これからの楽しみは、温泉に浸かることと夕食の宴。
海の幸が並ぶお膳に箸をつけ、ビールで乾杯。

ああ、喉が鳴る。

 

翌朝も温泉に浸かって体がポッカポカ暖まる。
旅の気分は、ますます高揚する。

 

今日は、鳥羽の観光船クルーズ。

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船場前に海女さんの看板があるが、どう見ても山口百恵みたい。

ずいぶん前の映画だが、潮騒という映画のロケシーンがあったのだろう。

 

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船上に設置された人魚の像

どきり!

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風を切って進む船には、時々カモメが飛んでくる。

そして、イルカ島へ上陸するとアシカのショーがあった。

 

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 なごむ

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 部屋に入るとこんな美人が・・

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旅は気分を変えられる!

2013-11-23 平成25年のことを思い出して書いてみた。

伊勢神宮へお参りしたら「おかげ横丁」へも

観光客でごった返す「おかげ横丁とは、
伊勢神宮・内宮前で栄えるおはらい町のこと。

 

宇治橋から五十鈴川に沿って続くおよそ800mの美しい石畳の通りには、
お伊勢さん特有の切妻・入母屋・妻入り様式の町並みが軒を連ねている。

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通りには沢山の土産物店・飲食店や商家が建ち並び、
参拝後の町歩きがとても楽しい。

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また、神宮道場や祭主職舎などの歴史的建造物などもあり、
お伊勢さんらしいレトロな雰囲気がたっぷり詰まっている。

路地に入ると、清き流れの五十鈴川へ出る。
川沿いをのんびり散歩するのも、風情があって良い。

 

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おかげ横丁は、こんな口上が聞こえてきそうな町
ようこそ、おかげ横丁へお越しくださいました。
伊勢は2000年の昔から、神様がご鎮座されるところで、
ここに住む人たちは、暮らしの全てが神様のおかげと感謝している。
そんな想いからおかげ横丁は誕生したのです。

この町は、江戸時代からのおかげ参りの伊勢の様子を再現したもので、
じっくりと見たいものが沢山あるのですよ~、っと。

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つまみ食いしながら、そぞろ歩き。

伊勢うどん
有名な伊勢うどんは麺が太くて柔らかいのが特徴。
汁が無く、甘い醤油のタレを混ぜている。

何とも不思議な美味しさだ。

 

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伊勢焼きうどんも食べてみた。
野菜も何も入っていないけど、ソースの香りが豊かで美味。

 

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威勢がよく気前がよく、どんどん出してくれる試食

ういろう、煎餅、カステラ、ハマグリ、アサリ、アワビ、
のり、お漬物など盛りだくさんの試食なんて初めて。

その中でも一番美味しかったのは、目の前で焼き上げてくれる

サンマとキスの切り身。
焼きたてを指でつまんで、ひ~は~食べる。

あまりにも行儀が悪いので、指をヤケドした。 

試食は少しだけ食べるのが美味しい。
う~ん、伊勢湾にサンマはいないはずだが(笑)

 

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これよりおかげ横丁の立札がある。

 

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横町へ入り込むと太鼓実演に人だかり。

 

威勢のよい伊勢^^.

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招き猫は横町のシンボルみたい。

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その横にある小さな社。

買ったジャンボくじが当選するかもしれないよ。

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おかげ横丁は、町歩きが楽しめる絶好の場所だった。

また行きたい町。

 

神宮式年遷宮の記憶・伊勢参り

伊勢巡り(第62回神宮式年遷宮)外宮編
2013-11-25  (平成25年のことです。
 
早朝、私たちは車で阪神高速道路伊勢路へと向かう。
朝靄のかかった大阪の中心地「御堂筋」を見下ろしながら走る。

左側には紅葉に包まれた大阪城が見える。

今日の目的は伊勢参り
 

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しかし、朝から渋滞している。
三重県に入っても車の混雑は凄い!

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山登り、、あの車の見える高所へ走行して、あそこから見下すのか。
 

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道の駅「針」で小休止。

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威勢のよいかけ声で呼び込みするお兄さんがいた。
とても旨いジャンボタコ焼きだよ~、
食べていってくださ~い。
では、と覗いたら、本場大阪の焼き方ではないぞ!
明石焼きなら和風のだし汁に浸して食べるが、
このジャンボタコ焼きは汁をかけて食べるらしい。
だから明石焼き風のタコ焼きです、と説明してくれたよ^^.
明石焼きの本場・明石からやって来たんやでと言ったら
ギャフンとギャグを言って笑っていた。

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昼ごはんは松阪牛の焼肉。

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松阪牛まつりをやっている最中だった。
伊勢はもうすぐ。
 
 
 伊勢神宮外宮に到着。

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★お伊勢さんとして親しまれる伊勢神宮
1300年にわたり繰り返されてきた式年遷宮の当たり年でお参りできた。
伊勢神宮では平成25年秋に「第62回神宮式年遷宮(ご遷宮)」が行われた。
平成17年から8年の歳月をかけて行われた式年遷宮

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式年遷宮とは、式年として定められた20年に一度、
内宮・外宮のご正宮や別宮などの建物を造り替え、
神様にお遷りいただく伊勢神宮最大で最重要の神事(お祭り)のこと。
 
その中心となる遷御の儀やお祭り・行事は報道で何度も見ることができた。
20年に一度造り替えられる常に瑞々しいご社殿は、新しくて神々しい。
永遠に変わらないお祭りが行われることに大きな意義がある。

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玉砂利を踏む音が心地よい。

その新しく完成した社殿を早く見たいと心があせる。

ここから中は、撮影禁止!

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豊受大神宮(外宮)
天照大神のお食事を司る神さまを祀っています。
衣食住をはじめあらゆる産業の守り神です。

 

かつては国費で行われた改築だが、

現在は国の安泰と国民の幸福を祈られる天皇陛下の大御心に、
国民が募財という形で力を結集して行われているそうだ。
 
 

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お守り札を買う人の列が・・
時間がかかるので買うのは取りやめた。

f:id:tabibitokun:20191206172629j:plain菊のご紋がまぶしい。

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せんぐう館は神宮式年遷宮の資料館です。
清めて。

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休憩所から眺める まがたま池の景観がきれいです。
 

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舞台では観月会なども行われるようです。

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また、清めて、、有難うございました。
 

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二礼、二拍手、一礼して外宮を出た。
サギが見送ってくれた。

★こんな時にしか神妙になれないのは、人間ができていない証です(笑)

味のふる里丹波篠山紀行

秋も深まり、紅葉が映える頃、兵庫県丹波笹山市へドライブした。
先年、丹波市篠山市が合併し「丹波篠山市」となった。
産物のブランド価値を上げるのが一番の理由だったらしい。
確かに魅力のある産物が多い。
 

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江戸時代より丹波地方の中心として栄えた篠山の町並みは、
城下町独特の文化を感じさせる見どころが集まっている。
城跡とその周辺ものんびりと散策した。
しかし、今回は時間の都合で、お土産とか、食べ物中心で
街並みを見て回るというだけの散策の感が強い。
 

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★見どころ
丹波笹山は、歴史ある寺院、アウトドアスポットなどが点在している。
今でも古い町並が残る篠山の城下町は特に味がある。
徒士武家屋敷群、河原町妻入商家群など見どころが多いが、
どちらも山の幸が豊富なエリアだ。
静かな時間が流れる篠山の城下町には
懐かしい雰囲気の古民家を利用した店が多い。
 

f:id:tabibitokun:20191203164802j:plain丹波

商店街を歩いて行くと、美味しいものが店頭に並んでいる。
焼き上がった香ばしい栗の香りが広がる。

山の幸、今の季節にタイムリーなビッ栗。

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いらっしゃ~い 焼き栗だよ~
試食で一粒貰うと、口の中に栗の美味しさがひろがった。
これが丹波篠山の栗の味なんだな。
 
丹波の黒豆

f:id:tabibitokun:20191203165746j:plain全国に知られる黒豆は人気者で、飛ぶように売れている。

早めに収穫すれば実は緑色。
遅くに収穫すれば黒くなる。
大きくてとても旨い。
丹波笹山の豆はオンリーワンの存在感がありますね。
 
田んぼに枯れて残された背の低い黒豆の木。
私が家庭菜園で収穫した黒豆の木は、
胸くらいまで高く伸びていたので不思議だ。
種類が違うか、自然環境の差なのかと疑問だったが、
山間で霧がかかる朝夕の気温差が黒豆に影響するらしい。
な~るほど~、と頷ける。
 

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★お土産にいいな
お菓子類では、黒豆せんべいが美味しいと思う。
卵をふんだんに使っているのか、甘味があって口が休めない。
このせんべいは、コーヒーや茶の友として外せない、やめられない。

篠山へ来ると豆づくしの感じがする^^.

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丹波」という名前が、産物にとってのブランドなのかな。
先年、丹波市篠山市が合併し「丹波篠山市」となったのは頷ける。
美味しい代名詞でもあるのかな。
 
★お土産品の大正ロマン

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ロマンティックな建築の土産店では、人だかりになっている。
 
 ★空から猪が

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なんと~ 猪がビルの上から覗いている!
いまにも襲いかかってきそうな大きな猪!
誰かが言った。
捕まえて ぼたん鍋にしてしまおう!
よく見れば、ぼたん鍋屋さんの看板だった。
笑いのネタも転がっている街なんだな。
 
★最高の季節だから観光客は多い

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とある場所では、観光バスが連なっていて、食事処は大盛況。
松茸の漢字には釣られやすいからね。
どこに松茸が見える・・

松茸10品づくしに誘われて・・
黒毛和牛すき焼き
焼き松茸
松茸土瓶蒸し
松茸そば
松茸の煮物
松茸茶碗蒸し
松茸と海老の天麩羅
松茸ごはん食べ放題
松茸昆布
黒豆煮
みんな 満足して帰ったのかな。
 
篠山城の石垣は、古い時代の 野面積みという工法

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武将の装束を身につけた人がいると、お城が引き立ちます。

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天守と言うのでは無く、館だったのだろう。

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城内は結構広い。城からの眺めもなかなかいいもんだ。

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★帰路、でかんしょ街道で休憩

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★帰路、小野市方面へ向かうと「でかんしょ街道」を通ることになる。
ここは、その山間部にある小さな道の駅のような売店
温泉もあり、のどかな憩いの故郷でもある。

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丹波篠山のシンボルは、猪が相応しいかも?

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銀杏も店頭に並ぶ

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地元のお酒も 丹波焼きも有名なんやね。
やはり、丹波篠山は美味しい里なんだね。
また行きたい丹波篠山





 
 
 
 
 

秀吉の播州三木城攻め

2017.10のことです。

羽柴秀吉の 播磨・三木城攻めの時の様子を見てきました。
歴史に詳しいお方なら ご存知かと思います。

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兵庫・三木市の古城跡に立ってみました。
信長方の羽柴秀吉、その軍師である竹中半兵衛黒田官兵衛

当時の播州の盟主・別所長治などに会えるかもしれない。

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三木城の塀越しに見ると、北東辺りが羽柴秀吉軍の陣地です。

昔の繁栄した城下を見ることは叶いませんが、

今では自然豊かな故郷という感じの町並みです。

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1577年、羽柴秀吉は中国地方の平定を目指して奔走していました。
黒田官兵衛から姫路城を譲り受けた羽柴秀吉は、播磨国の攻略を始めました。
信長に催促されながら必死に頑張っている頃の話です。

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東播磨地域最大の大名で20万石もの領土を持つ別所長春は、
織田信長と同盟を結んでいたのですが、1578年に別所長春は毛利方へと

寝返りました。近隣の大名が毛利方についたためと言われている。
羽柴秀吉信長の命礼で別所長治の籠もる三木城を包囲します。

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しかし、地形を味方にした三木城は簡単に攻略できません。
そこで、羽柴秀吉は三木城を孤立させ兵糧攻めにすることを決意します。
周囲の支城をひとつひとつ潰しにかかり、補給路の封鎖も行いました。

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平井山の陣営を守っていた秀吉の軍師・竹中半兵衛重治は、

労咳のため、陣中で亡くなりました。

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うっそうと茂った林を進むと墓地がありますが、一人では足が進まない。

毎年、出身地である岐阜県から、供養に訪れると聞きました。

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その小高い丘の上が秀吉の陣地になっていました。

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毛利方は、籠城している三木城内の人達を助けようと

兵糧を送り込むことに専念しますが、そのつど秀吉軍に阻まれます。
食料の届かない城内では、草や木の根、ネズミ、壁土の藁、
牛や馬まで食べつくし、飢え死にする者が続出したそうです。

 

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切腹した別所長治の首は、お城の西にある雲龍時の首塚に葬られたようです。

 

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三木城包囲から2年目の1580年、8月1日。
羽柴秀吉はついに総攻撃をかけ、やがて降伏させました。
この戦いは、その凄まじいまでの城内の様子から
「三木の干殺し」といわれるようになったそうです。

 

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タイムスリップで一部始終を見てしまいました。

 

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ああ、悲惨な事件でしたね。

城山の階段を降りる気力もなくなりました。
死んだ武士たちの怨念や亡霊が足を引っ張っていたのかもしれませんね。

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昔は賑やかだった商店街のアーケードも古びて、
シャッター道りになっていました。
昔の栄華は二度と訪れそうにもありませんね。

突き当たって左側へ歩くと、三木駅があります。
帰ろうとすると小雨がパラついてきました。

 

 

 

姫路城は 何度訪れても新発見

姫路城は「不戦の城」だ。

優れた防御力で「難攻不落」とされた姫路城。
要塞として本来の役割を発揮する機会はなかったが、

それは、徳川幕府の平和な時代の恩恵でもある。
太平洋戦争では、アメリカ軍の空襲からも奇跡的に焼け残った。
今、世界遺産・国宝姫路城は世界各国からの観光客で賑わっている。

ドイツのノインシュタイン城と共に、白亜の城として脚光を浴びる。

何度となく訪れているが、その都度、新しい発見がある。

四季折々の美しさがあり、また来てみたい日本一のお城だ。

 

夏の日

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春の日

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秋の日

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お濠端の遊覧船

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どの角度からでも美しい

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入城は菱の門から

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菱の門とは姫山・鷺山(城山)への入口を固める櫓門で、
門の正面には蔀(しとみ)となる石垣と土塀があり、枡形構造になっている。
「菱の門」の名称は、鏡柱上部の冠木に木製の花菱が飾られていることに由来する。
鏡柱は1本の太い角柱のようにみえるが、実は板で覆った集成材のようなもので、
板の合端を隠すために筋金具を打ちつけている。
外観は、一部を除き白漆喰総塗込めで、柱や貫、長押などの形がそのまま出ているのが特徴。2階の正面には黒漆に飾り金具がついた火灯窓・武者窓が配置されている。
入母屋の東西の妻は、西側が素木の木連格子、東側が白漆喰塗込めになっている。

(ホームページから菱の門の写真を拝借した)

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菱の門をくぐり抜けて、右方向を見ると天守群が迫って来る。
菱の門から東に延びる「菱の門東方土塀」は東へ行くにしたがって、
地盤が傾斜し 下がることで、石垣が段々と高くなっていく。
菱の門の厳重な防御と石垣の高さで、
内部の三国堀曲輪への侵入を防いでいることがわかる。

 

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姫路城には数多くの歴代城主がいる。
戦国時代には黒田官兵衛豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)などが城主をつとめた

ことでも知られているが、「関ケ原の戦い」後に入城した池田輝政によって

現在の姿に大規模に修築された。

 

 備前池田輝政居館跡と標されている。

池田輝政が姫路城を築城したときにこの広場に居館を建てて、

藩主と家族は実際にここに住んでいた。
3代目の光政が鳥取に転封となり、姫路を離れるまで続いたようだ。
なお備前丸という呼び方は、次の本多家時代以降に名付けられたらしい。
備前丸と書かれているのは、

播磨・淡路・備前三国に君臨した西国将軍池田輝政を偲んで、

後年池田家が備前岡山を本拠としたことから名付けられたようだ。

 

 

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城内に残るお菊井戸

姫路城の本丸下、「上山里(かみのやまさと)」と呼ばれる一角に、お菊井戸と呼ばれる古い井戸がある。この井戸は「播州皿屋敷(ばんしゅうさらやしき)」のヒロインお菊が責め殺されて投げ込まれたといわれる井戸で、
もとは釣瓶取(つるべとり)井戸と呼ばれていた。

播州皿屋敷とは、
永正年間(現在の姫路城が出来る前)、

姫路城第9代城主小寺則職の家臣青山鉄山が主家乗っ取りを企てていたが、
これを衣笠元信なる忠臣が察知、自分の妾だったお菊という女性を鉄山の家の女中にし、鉄山の計略を探らせた。元信は、青山が増位山の花見の席で則職を毒殺しようとしていることを突き止め、その花見の席に切り込み、則職を救出し、家島に隠れさせ再起を図る。乗っ取りに失敗した鉄山は、家中に密告者がいたとにらみ、
家来の町坪弾四朗に調査するように命令した。
程なく弾四朗は密告者がお菊であったことを突き止めた。
そこで、以前からお菊のことが好きだった弾四朗は妾になれと言い寄った。
しかし、お菊は拒否した。その態度に立腹した弾四朗は、お菊が管理を委任されていた10枚揃えないと意味のない家宝の毒消しの皿のうちの一枚をわざと隠してお菊にその因縁を付け、とうとう責め殺して古井戸に死体を捨てた。


以来その井戸から夜な夜なお菊が皿を数える声が聞こえたという。
やがて衣笠元信達小寺の家臣によって鉄山一味は討たれ、姫路城は無事、

則職の元に返った。その後、則職はお菊の事を聞き、その死を哀れみ、
十二所神社の中にお菊を「お菊大明神」として祀ったと言い伝えられている。


その後300年程経って城下に奇妙な形をした虫が大量発生し、
人々はお菊が虫になって帰ってきたと言っていたといわれる。
江戸を舞台とした有名な怪談「番町皿屋敷(ばんちょうさらやしき)」は、
この「播州皿屋敷」をモデルにしたともいわれるが、真偽は不明だという。

(以上は各種ホームページからの引用) 

 

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灯篭の台石

将軍坂(はの門南方土塀)を上った先「はの門」が見えている。
向かって右(東)の柱の下に転用された石灯籠の基礎石がある。

(ホームページから拝借した写真)ちょっとわかりづらい

 

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姫路城の瓦紋

「に」の門櫓の西面にある軒唐破風の棟に乗っている鬼瓦には、十字紋が彫られている。キリシタン大名だった黒田官兵衛が城主だった頃の鬼瓦だったという説もあるが、官兵衛がキリスト教に入信したのは1583年(天正11年)頃のことで、
官兵衛と関連付けるのは無理があるとのこと。
そもそも羽柴秀吉が新たな姫路城を築いたのも1581年(天正9年)のことで、
官兵衛はそれより前の1580年(天正8年)には篠の丸城に移っているため、
姫路城を離れている。そのため、この鬼瓦は池田輝政の時代のものと考えられるが、
キリスト教とは関係がなさそう。

 

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鉄砲間があるこの石段の景色は 画家好みの場所だ

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鉄砲間

997カ所が残る「狭間」。

円、三角、正方形、長方形。
その大半が敵を討つために下を向くが、
「西の丸」の白壁に一つだけ天守閣を向いた穴がある。

 

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石垣の石の形もその時代によって変化している。

 

天守閣で見た景色

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では、また訪れることにしよう。 

 

姫路城の石垣巡りは面白い

2017-04-29 の事を思い出して書いている。

★ちなみに世界遺産・国宝姫路城は2015.4.9に改修を終えて完成した

 

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姫路城の石垣積み技法の歴史を知りたいと思いつきました。
城内へ足を踏み入れず、外から城壁をぐるりと回ってみよう。
三の丸の芝生広場から天守の見える位置に沿って東へ進む。

 

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いたるところに季節の花が満開

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姫路城には様々な石垣積みの痕跡があります。
ひとつには羽柴秀吉時代の古い石垣です。
しいて、言うなれば黒田官兵衛が作った石垣のことです。
中国の毛利を攻める頃の石垣はこんな感じでした。

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大きな石の間に小石を詰めて崩れないように積む工法。
石の組方が雑で詰石が多いのが特徴だが、上手な技量が無かったと言えます。

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その積み方を「野づら積み」と言う。
姫路城にその場所が残っています。

 

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関ケ原の戦いが終りって徳川幕府となり政情が安定した頃から、
四角い石が整然と組まれるようになります。

しかし墓石や石棺など思いもしない石も組まれています。
その石積み工法から戦国時代以前か以降かがわかります。

 

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濠と石垣の関係もよく考えて造られています。
濠は前方から敵が攻め込んできても止められることができます。
姫路城の濠の入り組みがあるのは前進を困難にするためのものです。
ここは天守閣の前なので堰きとめています。

 

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しばらく歩いて、東面辺りへきました。

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ここで石垣造りのフォルムが右角途中で曲がっています。
疑問に思いましたが鬼門ということを考えての事らしいです。
丑寅の方向(北東)は鬼が出入りするので鬼門筋になるので、
石垣造りのフォルムを途中で曲げているのではとのことらしい。

 

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もう少し前進すると城の北側辺りへ差しかかります。

石垣が真っすぐ伸びているが、途中ででこぼこと突き出しています。
これは敵の攻撃をひるます為のものらしい。
出っ張りの所から横鉄砲や横矢を打てるように組んだ石垣らしい。

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石垣のでっぱり

 

城の北側から望む

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お城の外を東回りに歩いて西側の好古園の白壁までたどり着く。
その左手にお城が見えてきますが、石垣に変なものが見える。

 

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いま歩いて来た道を振り返って右にお城を見る。

 

石垣は、いつも見ているけど、気がつく人は少ない。
へそのような枠組みは 一体何でしょうか。
お城で暮らす人たちの生活排水管らしい。

ぼんやりと歩いていては発見は無いのですね。

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歓迎してくれているように、のんびりと鵜が泳いでいました。

 

散策が終わったと同時に、地面に叩き付けるような大雨が降ってきたぁ~~

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お土産店には、雨をしのぐ観光客で溢れていました。

きっと商売の邪魔になったことだろう。
 

江戸時代の姫路城下を散策

2017-04-29の事を思い出している。

 

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日差しが強くなった新緑の春だった。
姫路城の外濠跡から中濠、内濠へと歩く。
江戸時代の様相とは全く違うが、当時の町並みや道筋がわかった。
太平洋戦争で空襲を受け、町が消えても姫路城は奇跡的に残った。

その城をいただき 復活した姫路の現在の町並み。
江戸時代初期・築城当時の城主・脇坂藩から歴史の跡を辿ってみた。
姫路駅南にあった外濠から北へ歩き始めて、

フィニッシュ地点がお城となる。

 

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まずは姫路駅から外濠跡まで行ってみよう。
外濠跡は、姫路駅北側の山陽百貨店の北側辺りだったという。
外濠から南は飾磨の海へ行く道になる。
そして、外濠から南側は町家だったようだ
今立っているこの地点は飾磨津門が構えられていた。

 

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では城に向かって北へ北へと歩いてみよう。

夏の名物・姫路のゆかたまつりが始まった由縁ある神社。
辻の一角にたたずんでいる小さな社。

ゆかたまつりについては、エピソードがある。

お城を開放して町民も藩主もまつりを楽しんだという。

開かれた藩主だったようだ。

場内へといっても、外濠から少し入った場所なんだろう。

今では夏の大きなイベントとして人気のお祭りだ。

 

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足を北へ進めると昔の西国街道の辻に出た。

ここは「札の辻」という場所で、高札場があった所。

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後ろを振り返ると歌舞伎「お夏清十郎」で有名な お夏の生家跡がある。
その前には米屋跡がある。

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清十郎は米屋の手代として働いていたが、
お夏と恋に落ち、許してもらえなかったので駆け落ちをする。
悲しい結末となる主人公たちの物語。
興味があれば検索で調べていただきたい。

 

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お夏の屋敷跡と対峙して、もう面影は無いが清十郎の職場の米屋跡がある。

 

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商店街のアーケードには徳川家の譜代大名・本田家の家紋をはじめ、

歴代姫路城主の家紋が並んでいる。

丸に十は、キリスト教信者の黒田官兵衛(ジョスイ)の家紋もある。
黒田家は戦国の世から、砦として最初から姫路城に住んでいた人物。

黒田官兵衛(ジョスイ)は、秀吉の命で九州へと移住することになるが、

黒田藩と言えば、大きな勢力を持つ大名となる。

 

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現在の国道2号線に面する姫路城への中門跡の石垣。
お城へ入るまでには、いくつかの門を通過する。
ここは中ノ門跡。↓

 

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現在、バスが通っている国道2号線が中濠だったようだ。
現在、西から東へは一方通行。→→

 

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曲者が姫路城へ侵入するには、中門などの厳しい所があるので難しい。

すごいお城だったようだ。

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やっとお城の見える広場へ到着できた。

現在、広大な広場や土産物店があるが、
昔は家老屋敷が建ち並んでいたらしい。
B1フェステイバルのイベント会場に利用された広場でもある。

 

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週末とあって外国人を含む観光客が押し寄せていた。
GWにはもっと混雑することになるだろう。

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1時間近くかけて、やっと大手門にたどり着いた。

 

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サムライのボランティア仲間に入りませんかと誘われた。

それは無理だが、武者姿の人がいるだけで観光客は嬉しいね。

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何度見てもうっとりするきれいなお城だこと。
JR姫路駅からの距離を考えれば、かなりの距離がある。

さっさと歩いても15分はかかる。とてつもなく大きな城だったのですね。

世界遺産だけのことはある。

もっと知りたい姫路城。

播磨の国総社・三ツ山大祭とは

播磨の国総社・三ツ山大祭
2013.03.31 の記憶

 

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★この時、国宝・姫路城はまだ改修中で、3年後の4月に完成予定。

3月31日~4月7日までの姫路城下は、テーマパーク化していた。

 

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姫路城下に出現した巨大で色鮮やかな三基の「山」に、

やおろずの神々が集まるというので見学に出かけた。

この祭礼は400年の歴史があり、
日本の祭礼文化を今に伝える播磨の国総社の「三ツ山大祭」という。
祭礼は、兵庫県重要無形文化財に指定されている。

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見どころは、置山という播磨の国総社の門前に建てられた

高さ18m、直径10mの三つの置山だ。
古来より、山は神が降臨される神聖な場所とされ、
この「山」を人工的に造ったのが「置山」であり、
三ツ山の頂上にもそれぞれ「山上殿」と呼ばれる社殿が設けられている。

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こういった山は、次第に京都の祇園祭などで見られる

曳山へと変化していったとも考えられるという。
動かずに飾っておく「置山」が見られるのは、
播磨の国総社だけと言っても過言ではないといわれている。

 

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この祭礼は20年に一度行われ、
60年に一度行われる一つ山大祭とともに受け継がれてきた。
この大祭の始まりは、播磨の平安を願った「天神地祇祭」に由来するといわれ、
現在の祭礼の形は池田輝政により姫路城が築城されたことから
活況を呈したと伝えられているらしい。

 

毎日、諸行事が目白押しで、初日の31日は観光客が溢れていた。
2日目の4月1日は、横綱白鵬の神前土俵入り。

残念だがそれは見ていない。

 

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高校デザイン科生が造った舞台が、街中のいたるところで物語風に展示されていた。

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播磨の国総社の「三ツ山大祭」は、

桜満開でまさに春爛漫だった。

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大勢の人達が桜を背景に記念撮影をしている。

播磨の国総社境内の桜は華やかに咲く。

 

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ちらし寿司の美味しかったこと^^.

御幸通りアーケード街では、ご当地アイドルが歌っていた♪

あれから6年、今頃どうしているのだろう?

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こちらのブログもご覧くださいませ
https://blog.goo.ne.jp/kirari346

ぶらりウオッチング



 

修理後の姫路城はなぜ眩い白さ

 

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写真では、左側に2棟ある小天守が黒く汚れている。
 まだ漆喰修理は行われていない状態なので黒く見える。
 白い漆喰にカビが生えているから屋根まで黒く見えている。
右側の大天守が平成の修理以後の姫路城(眩しいほど真っ白)

 

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姫路城の別名は「白鷺城」

冗談で「白すぎ城」と言う人もいるが、これが姫路城の本来の姿。
姫路城は木材を白漆喰で塗り固め、耐久性を高めている。
(防水・防弾・防火のある漆喰を壁・屋根・天守閣に使用している)
屋根目地(瓦の継ぎ目)にも白漆喰を塗っているため、屋根も白く見える。

昭和39年(1964年)の「昭和の大修理」で約50年過ぎて、
平成21年(2009年)に「国宝姫路城大天守保存修理工事」着工。
平成27年 (2015年)   の3月に竣工し、27日にグランドオープン。

 

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漆喰とは?
瓦や石材の接着や目地の充填、壁の上塗りなどに使われる、
水酸化カルシウム消石灰)を主成分とした建材です。
漆喰の中でも顔料(着色に用いる粉末)を
混ぜずに用いる白い漆喰のことを「白漆喰」という。

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姫路城の始まりは
1346年の赤松貞範による築城とする説が有力で、
『姫路城史』や姫路市では、この説を採っている。
一方で赤松氏時代のものは、砦や館のような小規模なもので、
城郭に相当する規模の構築物としては、
戦国時代後期に西播磨地域で勢力を持っていた小寺氏の居城がある。

姫路城は2015.4.9に改修を終えた

桜に染まる世界遺産・姫路城がオープンした。

その時の記憶を呼び戻す。

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平成の大修理を終え、新装なった姫路城は眩しいほどに白い。

漆喰という塗りの技法がいっそうそうさせている。

 

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数年もたてば汚れて普通の白いお城になるという。

4月の桜に埋もれた姫路城は、とてつもなく美しい。

 

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新緑に映える姫路城を再び散策した。

2015.5.3 大手前道りで祝賀姫路城パレードが盛大に行われた。

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ステージでは楽しい出し物が毎日行われた。

毎年の行事だが、パレードは道の両側に座り込んで大勢の人が見学していた。

 

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5月の新緑に埋まるお城の姿もまた美しい。

このお城は、どの角度から眺めても飽きない。

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白い羽を広げる姿なので、別名をしらさぎ城とも呼ばれる。

春夏秋冬訪れても、それぞれの見どころがある。

外国人の観光客も凛々しい姿に満足していた。

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何度も行ってみたい姫路城。

ブルーインパルス姫路城を祝福

 

2015.3.2の思い出を書いてみる。

姫路城修復完成を記念するセレモニーが華やかに行われた。

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ついに姿を現したお城は真っ白。

JR姫路駅からお城に向って行列が続き、前進できないような人波。

どこからともなくジェット機が現れました。
ショーの始まり!

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完成したお城は真っ白な漆喰がまぶしいほどに輝いている。

左の小天守と比較すれば一目瞭然だ。

ショーをみようとする観光客で広場はぎっしりと埋め尽くされていた。

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カメラをセットしても観客の頭ばかりが写りこむ。撮影場所の確保が必要。

音もなく、遠くから飛来する航空自衛隊ブルーインパルスに胸が高鳴る。

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6機が弧を描こうとしている。

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青い空と真っ白な大天守の上で飛び交って祝福してくれた。

五輪よりも難しい技術なんだろうな。

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一息つくと次のブルーインパルスが飛来。

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屋根の上で撮影する人もいた。

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最後にハートを描いてさっそうと去って行った。

ブルーインパルスかっこういい!

 

前回、ブルーインパルスの飛行ショーを見たのは、

はるか昔の1964年東京オリンピックで五輪を描いた時だった。

中学3年生、その時以来の期待感だった。

こんな感動を受けられてスッキリした一日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界遺産・姫路城の工事を見学

思い出し日記

 

13.12.31のこと、天守閣の工事現場で、屋根瓦の漆喰技法を眼前で見た。

姫路城改修工事を見学できる期間があったので絶対に見逃せなかった。

改修工事中だったから 2015年春まで完全な姿は見られない。

★ちなみに姫路城は翌年の2015.4.9に完成予定。

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漆喰の白塗りのお化粧をして早く顔を出してきてほしい。

 

来年2014.4.1からNHK大河ドラマ軍師官兵衛」が始まるという時期だった

f:id:tabibitokun:20180604171549j:plainNHK大河ドラマで「軍師官兵衛」が好調な視聴率を取る前の写真。

そのドラマ館が完成し、観光客を迎える準備をしている最中だった。

地元ならどこでもそうだが、播州の宝として全ての面で盛り上がっている。

 

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全国からのツアー客を呼び込もうと広告旗で溢れた姫路の並木道。

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名物の姫路おでんも食べていただこうと売り込みに必死。

生姜醤油で食べる味はまた格別に美味しい。

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期間限定の見学で、工事現場の天守閣へは特設エレベーター8階まで昇る。

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押し寄せる人の波にも耐えて8階へ階段を上る。

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まだ大屋根が天守閣の瓦を覆っていたが、それも眼前に見える。

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緻密で高等技術が見られる漆喰。歴代藩主の紋所が焼きこまれていた。

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この城は白い漆喰が特徴

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昭和の時代よりも平成の修理は重機も揃っているだろうからな・・・

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見下ろせば城内と市街の新しい発見。遠くには書写山が見えてくる。

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スタッフの背中に描かれた文字

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改装中の天守閣だけが囲まれている

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改装中の天守閣以外でも 見るべききれいな場所は沢山あるので名城といえる。

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土産物売り場では、ユニークな門番が立っていた。

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お土産は何でもありだ!

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