旅は恋人

青島の黄色いポストからの絵葉書は届いただろうか。また旅人になりたい。

秀吉の播州三木城攻め

2017.10のことです。

秀吉の三木城攻めに立ち会ってきました。
歴史に詳しいお方なら ご存知かと思います。

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兵庫・三木市の古城跡に立っている自分がいました。
信長方の羽柴秀吉竹中半兵衛播州の盟主・別所長治などに会えるかもしれない。

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城壁越しに見ると、遥か右向こうの山が羽柴秀吉軍の陣地です。

昔の繁栄した城下を見ることは叶いませんが、

今では自然豊かな故郷という感じの町並みです。

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1577年、羽柴秀吉は中国地方の平定を目指して奔走していました。
黒田官兵衛から姫路城を譲り受けた羽柴秀吉は、播磨国の攻略を始めました。
信長に催促されながら必死に頑張っている頃の話です。

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播州播磨地域最大の大名で20万石もの領土を持つ別所長春は、
織田信長方の秀吉に味方することになっていました。
しかし、1578年に別所長春は毛利方へと寝返りました。
信長の命礼で羽柴秀吉は、別所長治の籠もる三木城を包囲します。

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しかし、地形を味方にした三木城は簡単に攻略できません。
そこで、羽柴秀吉は三木城を孤立させ兵糧攻めにすることを決意します。
周囲の支城をひとつひとつ潰しにかかり、補給路の封鎖も行いました。

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毛利方は三木城を助けようと兵糧を送り込むことに専念しますが、
そのつど秀吉に阻まれます。
食料の届かない城内では、草、根、ネズミ、壁土の藁、
牛や馬まで食べつくし、飢え死にする者が続出したそうです。

 

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三木城包囲から2年目の1580年、8月1日。
羽柴秀吉はついに総攻撃をしかけ、やがて降伏させました。
この戦いは、その凄まじいまでの城内の様子から
「三木の干殺し」といわれるようになったそうです。

 

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タイムスリップで一部始終を見てしまいました。

 

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ああ、悲惨な事件でしたね。

城山の階段を降りる気力もなくなりました。
死んだ武士たちの怨念や亡霊が足を引っ張っていたのかもしれませんね。

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昔は賑やかだった商店街のアーケードも古びて、
シャッター道りになっていました。
昔の栄華は二度と訪れそうにもありませんね。

突き当たって左側へ歩くと、三木駅があります。
帰ろうとすると小雨がパラついてきました。

 

 

 

姫路城は 何度訪れても新発見

姫路城は「不戦の城」だ。

優れた防御力で「難攻不落」とされた姫路城。
要塞として本来の役割を発揮する機会はなかったが、

それは、徳川幕府の平和な時代の恩恵でもある。
太平洋戦争では、アメリカ軍の空襲からも奇跡的に焼け残った。
今、世界遺産・国宝姫路城は世界各国からの観光客で賑わっている。

ドイツのノインシュタイン城と共に、白亜の城として脚光を浴びる。

何度となく訪れているが、その都度、新しい発見がある。

四季折々の美しさがあり、また来てみたい日本一のお城だ。

 

夏の日

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春の日

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秋の日

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お濠端の遊覧船

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どの角度からでも美しい

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入城は菱の門から

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菱の門とは姫山・鷺山(城山)への入口を固める櫓門で、
門の正面には蔀(しとみ)となる石垣と土塀があり、枡形構造になっている。
「菱の門」の名称は、鏡柱上部の冠木に木製の花菱が飾られていることに由来する。
鏡柱は1本の太い角柱のようにみえるが、実は板で覆った集成材のようなもので、
板の合端を隠すために筋金具を打ちつけている。
外観は、一部を除き白漆喰総塗込めで、柱や貫、長押などの形がそのまま出ているのが特徴。2階の正面には黒漆に飾り金具がついた火灯窓・武者窓が配置されている。
入母屋の東西の妻は、西側が素木の木連格子、東側が白漆喰塗込めになっている。

(ホームページから菱の門の写真を拝借した)

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菱の門をくぐり抜けて、右方向を見ると天守群が迫って来る。
菱の門から東に延びる「菱の門東方土塀」は東へ行くにしたがって、
地盤が傾斜し 下がることで、石垣が段々と高くなっていく。
菱の門の厳重な防御と石垣の高さで、
内部の三国堀曲輪への侵入を防いでいることがわかる。

 

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姫路城には数多くの歴代城主がいる。
戦国時代には黒田官兵衛豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)などが城主をつとめた

ことでも知られているが、「関ケ原の戦い」後に入城した池田輝政によって

現在の姿に大規模に修築された。

 

 備前池田輝政居館跡と標されている。

池田輝政が姫路城を築城したときにこの広場に居館を建てて、

藩主と家族は実際にここに住んでいた。
3代目の光政が鳥取に転封となり、姫路を離れるまで続いたようだ。
なお備前丸という呼び方は、次の本多家時代以降に名付けられたらしい。
備前丸と書かれているのは、

播磨・淡路・備前三国に君臨した西国将軍池田輝政を偲んで、

後年池田家が備前岡山を本拠としたことから名付けられたようだ。

 

 

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城内に残るお菊井戸

姫路城の本丸下、「上山里(かみのやまさと)」と呼ばれる一角に、お菊井戸と呼ばれる古い井戸がある。この井戸は「播州皿屋敷(ばんしゅうさらやしき)」のヒロインお菊が責め殺されて投げ込まれたといわれる井戸で、
もとは釣瓶取(つるべとり)井戸と呼ばれていた。

播州皿屋敷とは、
永正年間(現在の姫路城が出来る前)、

姫路城第9代城主小寺則職の家臣青山鉄山が主家乗っ取りを企てていたが、
これを衣笠元信なる忠臣が察知、自分の妾だったお菊という女性を鉄山の家の女中にし、鉄山の計略を探らせた。元信は、青山が増位山の花見の席で則職を毒殺しようとしていることを突き止め、その花見の席に切り込み、則職を救出し、家島に隠れさせ再起を図る。乗っ取りに失敗した鉄山は、家中に密告者がいたとにらみ、
家来の町坪弾四朗に調査するように命令した。
程なく弾四朗は密告者がお菊であったことを突き止めた。
そこで、以前からお菊のことが好きだった弾四朗は妾になれと言い寄った。
しかし、お菊は拒否した。その態度に立腹した弾四朗は、お菊が管理を委任されていた10枚揃えないと意味のない家宝の毒消しの皿のうちの一枚をわざと隠してお菊にその因縁を付け、とうとう責め殺して古井戸に死体を捨てた。


以来その井戸から夜な夜なお菊が皿を数える声が聞こえたという。
やがて衣笠元信達小寺の家臣によって鉄山一味は討たれ、姫路城は無事、

則職の元に返った。その後、則職はお菊の事を聞き、その死を哀れみ、
十二所神社の中にお菊を「お菊大明神」として祀ったと言い伝えられている。


その後300年程経って城下に奇妙な形をした虫が大量発生し、
人々はお菊が虫になって帰ってきたと言っていたといわれる。
江戸を舞台とした有名な怪談「番町皿屋敷(ばんちょうさらやしき)」は、
この「播州皿屋敷」をモデルにしたともいわれるが、真偽は不明だという。

(以上は各種ホームページからの引用) 

 

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灯篭の台石

将軍坂(はの門南方土塀)を上った先「はの門」が見えている。
向かって右(東)の柱の下に転用された石灯籠の基礎石がある。

(ホームページから拝借した写真)ちょっとわかりづらい

 

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姫路城の瓦紋

「に」の門櫓の西面にある軒唐破風の棟に乗っている鬼瓦には、十字紋が彫られている。キリシタン大名だった黒田官兵衛が城主だった頃の鬼瓦だったという説もあるが、官兵衛がキリスト教に入信したのは1583年(天正11年)頃のことで、
官兵衛と関連付けるのは無理があるとのこと。
そもそも羽柴秀吉が新たな姫路城を築いたのも1581年(天正9年)のことで、
官兵衛はそれより前の1580年(天正8年)には篠の丸城に移っているため、
姫路城を離れている。そのため、この鬼瓦は池田輝政の時代のものと考えられるが、
キリスト教とは関係がなさそう。

 

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鉄砲間があるこの石段の景色は 画家好みの場所だ

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鉄砲間

997カ所が残る「狭間」。

円、三角、正方形、長方形。
その大半が敵を討つために下を向くが、
「西の丸」の白壁に一つだけ天守閣を向いた穴がある。

 

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石垣の石の形もその時代によって変化している。

 

天守閣で見た景色

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では、また訪れることにしよう。 

 

姫路城の石垣巡りは面白い

2017-04-29 の事を思い出して書いている。

★ちなみに世界遺産・国宝姫路城は2015.4.9に改修を終えて完成した

 

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姫路城の石垣積み技法の歴史を知りたいと思いつきました。
城内へ足を踏み入れず、外から城壁をぐるりと回ってみよう。
三の丸の芝生広場から天守の見える位置に沿って東へ進む。

 

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いたるところに季節の花が満開

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姫路城には様々な石垣積みの痕跡があります。
ひとつには羽柴秀吉時代の古い石垣です。
しいて、言うなれば黒田官兵衛が作った石垣のことです。
中国の毛利を攻める頃の石垣はこんな感じでした。

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大きな石の間に小石を詰めて崩れないように積む工法。
石の組方が雑で詰石が多いのが特徴だが、上手な技量が無かったと言えます。

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その積み方を「野づら積み」と言う。
姫路城にその場所が残っています。

 

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関ケ原の戦いが終りって徳川幕府となり政情が安定した頃から、
四角い石が整然と組まれるようになります。

しかし墓石や石棺など思いもしない石も組まれています。
その石積み工法から戦国時代以前か以降かがわかります。

 

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濠と石垣の関係もよく考えて造られています。
濠は前方から敵が攻め込んできても止められることができます。
姫路城の濠の入り組みがあるのは前進を困難にするためのものです。
ここは天守閣の前なので堰きとめています。

 

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しばらく歩いて、東面辺りへきました。

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ここで石垣造りのフォルムが右角途中で曲がっています。
疑問に思いましたが鬼門ということを考えての事らしいです。
丑寅の方向(北東)は鬼が出入りするので鬼門筋になるので、
石垣造りのフォルムを途中で曲げているのではとのことらしい。

 

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もう少し前進すると城の北側辺りへ差しかかります。

石垣が真っすぐ伸びているが、途中ででこぼこと突き出しています。
これは敵の攻撃をひるます為のものらしい。
出っ張りの所から横鉄砲や横矢を打てるように組んだ石垣らしい。

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石垣のでっぱり

 

城の北側から望む

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お城の外を東回りに歩いて西側の好古園の白壁までたどり着く。
その左手にお城が見えてきますが、石垣に変なものが見える。

 

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いま歩いて来た道を振り返って右にお城を見る。

 

石垣は、いつも見ているけど、気がつく人は少ない。
へそのような枠組みは 一体何でしょうか。
お城で暮らす人たちの生活排水管らしい。

ぼんやりと歩いていては発見は無いのですね。

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歓迎してくれているように、のんびりと鵜が泳いでいました。

 

散策が終わったと同時に、地面に叩き付けるような大雨が降ってきたぁ~~

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お土産店には、雨をしのぐ観光客で溢れていました。

きっと商売の邪魔になったことだろう。
 

江戸時代の姫路城下を散策

2017-04-29の事を思い出している。

 

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日差しが強くなった新緑の春だった。
姫路城の外濠跡から中濠、内濠へと歩く。
江戸時代の様相とは全く違うが、当時の町並みや道筋がわかった。
太平洋戦争で空襲を受け、町が消えても姫路城は奇跡的に残った。

その城をいただき 復活した姫路の現在の町並み。
江戸時代初期・築城当時の城主・脇坂藩から歴史の跡を辿ってみた。
姫路駅南にあった外濠から北へ歩き始めて、

フィニッシュ地点がお城となる。

 

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まずは姫路駅から外濠跡まで行ってみよう。
外濠跡は、姫路駅北側の山陽百貨店の北側辺りだったという。
外濠から南は飾磨の海へ行く道になる。
そして、外濠から南側は町家だったようだ
今立っているこの地点は飾磨津門が構えられていた。

 

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では城に向かって北へ北へと歩いてみよう。

夏の名物・姫路のゆかたまつりが始まった由縁ある神社。
辻の一角にたたずんでいる小さな社。

ゆかたまつりについては、エピソードがある。

お城を開放して町民も藩主もまつりを楽しんだという。

開かれた藩主だったようだ。

場内へといっても、外濠から少し入った場所なんだろう。

今では夏の大きなイベントとして人気のお祭りだ。

 

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足を北へ進めると昔の西国街道の辻に出た。

ここは「札の辻」という場所で、高札場があった所。

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後ろを振り返ると歌舞伎「お夏清十郎」で有名な お夏の生家跡がある。
その前には米屋跡がある。

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清十郎は米屋の手代として働いていたが、
お夏と恋に落ち、許してもらえなかったので駆け落ちをする。
悲しい結末となる主人公たちの物語。
興味があれば検索で調べていただきたい。

 

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お夏の屋敷跡と対峙して、もう面影は無いが清十郎の職場の米屋跡がある。

 

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商店街のアーケードには徳川家の譜代大名・本田家の家紋をはじめ、

歴代姫路城主の家紋が並んでいる。

丸に十は、キリスト教信者の黒田官兵衛(ジョスイ)の家紋もある。
黒田家は戦国の世から、砦として最初から姫路城に住んでいた人物。

黒田官兵衛(ジョスイ)は、秀吉の命で九州へと移住することになるが、

黒田藩と言えば、大きな勢力を持つ大名となる。

 

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現在の国道2号線に面する姫路城への中門跡の石垣。
お城へ入るまでには、いくつかの門を通過する。
ここは中ノ門跡。↓

 

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現在、バスが通っている国道2号線が中濠だったようだ。
現在、西から東へは一方通行。→→

 

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曲者が姫路城へ侵入するには、中門などの厳しい所があるので難しい。

すごいお城だったようだ。

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やっとお城の見える広場へ到着できた。

現在、広大な広場や土産物店があるが、
昔は家老屋敷が建ち並んでいたらしい。
B1フェステイバルのイベント会場に利用された広場でもある。

 

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週末とあって外国人を含む観光客が押し寄せていた。
GWにはもっと混雑することになるだろう。

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1時間近くかけて、やっと大手門にたどり着いた。

 

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サムライのボランティア仲間に入りませんかと誘われた。

それは無理だが、武者姿の人がいるだけで観光客は嬉しいね。

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何度見てもうっとりするきれいなお城だこと。
JR姫路駅からの距離を考えれば、かなりの距離がある。

さっさと歩いても15分はかかる。とてつもなく大きな城だったのですね。

世界遺産だけのことはある。

もっと知りたい姫路城。

播磨の国総社・三ツ山大祭とは

播磨の国総社・三ツ山大祭
2013.03.31 の記憶

 

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★この時、国宝・姫路城はまだ改修中で、3年後の4月に完成予定。

3月31日~4月7日までの姫路城下は、テーマパーク化していた。

 

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姫路城下に出現した巨大で色鮮やかな三基の「山」に、

やおろずの神々が集まるというので見学に出かけた。

この祭礼は400年の歴史があり、
日本の祭礼文化を今に伝える播磨の国総社の「三ツ山大祭」という。
祭礼は、兵庫県重要無形文化財に指定されている。

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見どころは、置山という播磨の国総社の門前に建てられた

高さ18m、直径10mの三つの置山だ。
古来より、山は神が降臨される神聖な場所とされ、
この「山」を人工的に造ったのが「置山」であり、
三ツ山の頂上にもそれぞれ「山上殿」と呼ばれる社殿が設けられている。

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こういった山は、次第に京都の祇園祭などで見られる

曳山へと変化していったとも考えられるという。
動かずに飾っておく「置山」が見られるのは、
播磨の国総社だけと言っても過言ではないといわれている。

 

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この祭礼は20年に一度行われ、
60年に一度行われる一つ山大祭とともに受け継がれてきた。
この大祭の始まりは、播磨の平安を願った「天神地祇祭」に由来するといわれ、
現在の祭礼の形は池田輝政により姫路城が築城されたことから
活況を呈したと伝えられているらしい。

 

毎日、諸行事が目白押しで、初日の31日は観光客が溢れていた。
2日目の4月1日は、横綱白鵬の神前土俵入り。

残念だがそれは見ていない。

 

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高校デザイン科生が造った舞台が、街中のいたるところで物語風に展示されていた。

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播磨の国総社の「三ツ山大祭」は、

桜満開でまさに春爛漫だった。

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大勢の人達が桜を背景に記念撮影をしている。

播磨の国総社境内の桜は華やかに咲く。

 

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ちらし寿司の美味しかったこと^^.

御幸通りアーケード街では、ご当地アイドルが歌っていた♪

あれから6年、今頃どうしているのだろう?

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こちらのブログもご覧くださいませ
https://blog.goo.ne.jp/kirari346

ぶらりウオッチング



 

修理後の姫路城はなぜ眩い白さ

 

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写真では、左側に2棟ある小天守が黒く汚れている。
 まだ漆喰修理は行われていない状態なので黒く見える。
 白い漆喰にカビが生えているから屋根まで黒く見えている。
右側の大天守が平成の修理以後の姫路城(眩しいほど真っ白)

 

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姫路城の別名は「白鷺城」

冗談で「白すぎ城」と言う人もいるが、これが姫路城の本来の姿。
姫路城は木材を白漆喰で塗り固め、耐久性を高めている。
(防水・防弾・防火のある漆喰を壁・屋根・天守閣に使用している)
屋根目地(瓦の継ぎ目)にも白漆喰を塗っているため、屋根も白く見える。

昭和39年(1964年)の「昭和の大修理」で約50年過ぎて、
平成21年(2009年)に「国宝姫路城大天守保存修理工事」着工。
平成27年 (2015年)   の3月に竣工し、27日にグランドオープン。

 

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漆喰とは?
瓦や石材の接着や目地の充填、壁の上塗りなどに使われる、
水酸化カルシウム消石灰)を主成分とした建材です。
漆喰の中でも顔料(着色に用いる粉末)を
混ぜずに用いる白い漆喰のことを「白漆喰」という。

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姫路城の始まりは
1346年の赤松貞範による築城とする説が有力で、
『姫路城史』や姫路市では、この説を採っている。
一方で赤松氏時代のものは、砦や館のような小規模なもので、
城郭に相当する規模の構築物としては、
戦国時代後期に西播磨地域で勢力を持っていた小寺氏の居城がある。

姫路城は2015.4.9に改修を終えた

桜に染まる世界遺産・姫路城がオープンした。

その時の記憶を呼び戻す。

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平成の大修理を終え、新装なった姫路城は眩しいほどに白い。

漆喰という塗りの技法がいっそうそうさせている。

 

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数年もたてば汚れて普通の白いお城になるという。

4月の桜に埋もれた姫路城は、とてつもなく美しい。

 

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新緑に映える姫路城を再び散策した。

2015.5.3 大手前道りで祝賀姫路城パレードが盛大に行われた。

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ステージでは楽しい出し物が毎日行われた。

毎年の行事だが、パレードは道の両側に座り込んで大勢の人が見学していた。

 

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5月の新緑に埋まるお城の姿もまた美しい。

このお城は、どの角度から眺めても飽きない。

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白い羽を広げる姿なので、別名をしらさぎ城とも呼ばれる。

春夏秋冬訪れても、それぞれの見どころがある。

外国人の観光客も凛々しい姿に満足していた。

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何度も行ってみたい姫路城。

ブルーインパルス姫路城を祝福

 

2015.3.2の思い出を書いてみる。

姫路城修復完成を記念するセレモニーが華やかに行われた。

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ついに姿を現したお城は真っ白。

JR姫路駅からお城に向って行列が続き、前進できないような人波。

どこからともなくジェット機が現れました。
ショーの始まり!

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完成したお城は真っ白な漆喰がまぶしいほどに輝いている。

左の小天守と比較すれば一目瞭然だ。

ショーをみようとする観光客で広場はぎっしりと埋め尽くされていた。

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カメラをセットしても観客の頭ばかりが写りこむ。撮影場所の確保が必要。

音もなく、遠くから飛来する航空自衛隊ブルーインパルスに胸が高鳴る。

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6機が弧を描こうとしている。

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青い空と真っ白な大天守の上で飛び交って祝福してくれた。

五輪よりも難しい技術なんだろうな。

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一息つくと次のブルーインパルスが飛来。

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屋根の上で撮影する人もいた。

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最後にハートを描いてさっそうと去って行った。

ブルーインパルスかっこういい!

 

前回、ブルーインパルスの飛行ショーを見たのは、

はるか昔の1964年東京オリンピックで五輪を描いた時だった。

中学3年生、その時以来の期待感だった。

こんな感動を受けられてスッキリした一日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界遺産・姫路城の工事を見学

思い出し日記

 

13.12.31のこと、天守閣の工事現場で、屋根瓦の漆喰技法を眼前で見た。

姫路城改修工事を見学できる期間があったので絶対に見逃せなかった。

改修工事中だったから 2015年春まで完全な姿は見られない。

★ちなみに姫路城は翌年の2015.4.9に完成予定。

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漆喰の白塗りのお化粧をして早く顔を出してきてほしい。

 

来年2014.4.1からNHK大河ドラマ軍師官兵衛」が始まるという時期だった

f:id:tabibitokun:20180604171549j:plainNHK大河ドラマで「軍師官兵衛」が好調な視聴率を取る前の写真。

そのドラマ館が完成し、観光客を迎える準備をしている最中だった。

地元ならどこでもそうだが、播州の宝として全ての面で盛り上がっている。

 

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全国からのツアー客を呼び込もうと広告旗で溢れた姫路の並木道。

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名物の姫路おでんも食べていただこうと売り込みに必死。

生姜醤油で食べる味はまた格別に美味しい。

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期間限定の見学で、工事現場の天守閣へは特設エレベーター8階まで昇る。

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押し寄せる人の波にも耐えて8階へ階段を上る。

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まだ大屋根が天守閣の瓦を覆っていたが、それも眼前に見える。

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緻密で高等技術が見られる漆喰。歴代藩主の紋所が焼きこまれていた。

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この城は白い漆喰が特徴

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昭和の時代よりも平成の修理は重機も揃っているだろうからな・・・

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見下ろせば城内と市街の新しい発見。遠くには書写山が見えてくる。

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スタッフの背中に描かれた文字

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改装中の天守閣だけが囲まれている

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改装中の天守閣以外でも 見るべききれいな場所は沢山あるので名城といえる。

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土産物売り場では、ユニークな門番が立っていた。

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お土産は何でもありだ!

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B1グランプリ・姫路城で開催

思い出し日記だが記憶はまだまだいけるかも・・

fot:2011.5.21 

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お城の天守閣は改修中だが、素屋根で覆われた変装の姫路城が遠くに見える。

当時の姫路城は絵に描いたこんなスタイル。

面白いアイデアだが、今回は白い色なのでぼやけて ぼやけてよく見えない。

 

半世紀前の昭和の大修理では、真っ黒な素屋根の姿が重苦しい感じだった。

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天気の良い日には、20km離れた実家からでも見えていた。

見えた事自体、それにはちょっと感動した記憶がある。

 

 

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そんな時、お城を囲んでの大イベントがあった。

fot:2011.5.21

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2011.5.21から開幕する近畿・中国・四国「B1グランプリ」は大盛況だった。

 (秋には全国大会も行われるので、これはプレイベントとなる。)

東日本大震災復興支援大会

前売り1000円綴りのチケットを買っていて、わくわくしていたなぁ。

全国から色んな美味しいものを求めて大行列ができていた。

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食べ終われば、自分のお箸を優勝させたいボックスに投入する。

箸の重量によって美味しさチャンピオンを決めるユニークな大会だ。

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会場が広すぎるので、歩きまわると夕方には万歩計が14000歩も指していた。

お腹は満たされるが、B1グランプリは疲れるイベントなんだね。

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東北大震災からまだ日が浅いのに、福島や岩手、宮城からも出店されていた。

開催地のあたたかい好意に大変感激していたようだ。

ちなみにグランプリは、兵庫・蒜山焼きそばだったかな。

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★B1グルメの裏側では、食材を姫路で調達しようとする団体が多い。

農業製品や肉製品、卵などが売れて、経済もうるおう。

淡路の玉ねぎをはじめ、人参、もやし、ネギなど5トンも注文があったという。

その加工業者も仕事が増えて「B1グルメ・姫路」さまさまなのではなかったか。

催事の裏側を読み解くのも面白いと思った。

 

 

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秋・11月には全国大会も行われた

f:id:tabibitokun:20180602065517j:plainB級グルメの日本一を決める「B-1グランプリ」が

11月12日(土)、13日(日)、西日本では初めて兵庫県姫路市で開催された。

今年で第6回目となる今大会は、前年の厚木大会を約8万人上回る51万5000人

(主催者発表)が来場し、大会史上最多の来場者数を記録した。

出展した団体数も前年より17団体多い63団体で過去最多。

全国から集まった63団体の頂点に立ったのは、

前年のシルバーグランプリを獲得した、ひるぜん焼きそば好いとん会

ひるぜん焼きそば」(岡山県真庭市)。

 

★ちなみに国宝・姫路城は改修中、まだまだ先の2015.4.9に完成予定。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

姫路城で最後の観桜会

2010.4.3の写真を眺めながら思い出している。

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2010.4.3の事です。

お城は これから長い月日をかけて、漆喰の修復にかかることになる。

三の丸広場で最後の観桜会が行われた。

★ちなみに世界遺産の国宝・姫路城は、改修後2015.4.9に完成の予定。

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姫路城お花見太鼓が披露され、空気を震わす心地よい音が鳴っていた。

姫路市の太鼓打ちの会がたくさんあるのには驚いた。

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屋根は漆喰にカビが生えて黒くなっているが、それが重厚ささえ感じる。

クレーンを立て、すでに平成の大修理の準備が始まっていた。

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改修が完了するのは 2015.4.9 の予定。

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見納めに寂しい感情が溢れてきたことを思い出す。 

 

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当時、姫路城の瓦に名前を刻みませんか? という企画があった。

姫路城「平成の大修理」に3万円以上寄付すれば、

抽選で大天守の瓦に名前を記入できることを知ってもらおうと、

姫路市が入城口近くの仮事務所で瓦2枚の見本展示を始めた。

今回の修理では、約8万枚に上るとみられる大天守の瓦をふき直す。

1枚の重さは平瓦4・5キロ、丸瓦3・6キロ。

ほかに鯱や鬼瓦などを含めると、39種類あるという。

一枚一枚丹念にたたいて、瓦の割れやひびの有無を調べ、

使える瓦は再度利用する。記名できるのは、新たに取り換える瓦で、

事前調査の結果、1千枚程度と予測されている。

 

 

平成の大修理前の姫路城

国宝・姫路城が大改修される前に見ておこうと足を運んだ記憶。

 

改修前の屋根瓦や白壁は黒く汚れているが、それもまた重みがあっていい。

姫路城は2010年から平成の大修理に入るので全体像が見られなくなる。

fot:2009.11.7

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姫山・鷺山(城山)への入口を固める櫓門で、菱の門と呼ぶ。
門の正面には蔀(しとみ)となる石垣と土塀があり、枡形構造になっている。
菱の門の名称は、鏡柱上部の冠木に木製の花菱が飾られていることに由来。
鏡柱は1本の太い角柱のように見えるが、実は板で覆った集成材のようなもので、板の合端を隠すために筋金具を打ちつけている。
2階の正面には黒漆に飾り金具がついた火灯窓・武者窓が配置されているf:id:tabibitokun:20180528173602j:plain 菱の門では忍者がお相手をしてくれる。

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菱の門をくぐり右に天守閣を仰ぐことができる。
見慣れた正面からの国宝姫路城とは違い南西の方角から見ると
これもまた美しいフォルムだと思う。

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天守閣の真下から見上げてみた。

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少し角度を変えると様々な形が見られるので面白いお城だ。

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天守閣から眺める景色はいいものだ。渡り廊下と千姫御殿が見える。

しかし、天守閣までの階段を登ると疲れが増してくる。

広いお城の造りを見るのは楽しくて飽きないが、

足が・・ お腹もすいてくるのは仕方がないかな。

f:id:tabibitokun:20180528173339j:plain 歌舞伎・播州皿屋敷に出てくるお菊井戸。

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江戸初期の初代藩主・池田輝政の居館があった場所らしい。

f:id:tabibitokun:20180528174104j:plain画家好みや映画ロケの絶好の場所とされているスポットが多い。

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攻め込んだら突き当りのような造り

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白壁の鉄砲間から覗くと面白い景色が発見できる

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苔むした石垣の向こうにお城の白壁が見える

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歴代当主の瓦紋

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角度を変えて見る姫路城再発見、どこから見ても美しい城だこと。

国宝であり世界遺産といえるのは紛れもない

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最後に外から眺めた正面の姫路城。

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はの屋形 ろの屋形などからも見える。 
昔の家老屋敷跡は土産屋になっていて外国人なども多く賑やかだった。

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歩き疲れて最後にちょっと覗いてみるのもいいかも。

 

松原八幡神社と黒田官兵衛

 

2014.5.15の歴史ウオークを思い出している

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姫路市白浜町の松原八幡神社で行われる秋季例祭。
姫路・灘のけんか祭りと呼ばれ、
神輿練りのほか、絢爛たる屋台を盛大に練り競う
勇壮豪華な屋台練りが人気を呼び、
海外にまでその名を知られるようになっている。「
初めての人にはおすすめの秋祭りで毎年10月14日・15日に行われる。

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一の丸、二の丸、三の丸からなる3基の神輿をぶつけ合わせる神事と、
旧7ヶ村の絢爛豪華な屋台が激しく練り競う勇壮な屋台練りが行われる。
「松原八幡神社秋季例祭風流」として、
姫路市兵庫県重要無形民俗文化財に指定されている。
また、旧松原村の獅子屋台の太鼓の音は「日本の音風景100選」に選ばれた。

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このけんか祭りは、松原神社の神前に終結して
それぞれの地区自慢の「屋台」(神輿:みこし)をぶつけ合う、
男たちの気迫あふれるダイナミックで絢爛豪華な祭り。
歩きながら最終地点の松原神社境内までたどり着いた。

 

fot:2014.5.15

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神社の景観と言えば、外には蔵屋敷を思わせるようなお手洗い場がある。

祭り屋台の練場から神社内を写してみた。 

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その松原八幡神社黒田官兵衛の繋がり

天正5年(1577)、織田信長の命を受けて中国平定のため播磨に入った羽柴秀吉が、
播磨の諸城を攻略している時、
松原八幡神社と八正寺は秀吉方に属し、別所長治と対立したため、
長治を援助する毛利輝元の軍船が来襲したため、
兵火にみまわれたという。

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また天正9年(1581)、秀吉は松原八幡神社に城南芝原へ移転するよう命じたが
松原の地は由緒ある土地であることを理由に移転を拒んだため
秀吉の勘気に触れ、社領を60石に減らされた(飾磨郡誌)という。
この時、秀吉の軍師・黒田官兵衛が秀吉に懇願し、
松原八幡神社がこの地での存続につながったと伝わっている。

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神社を最後に黒田官兵衛の歴史ウオークを終える。

神社の門を出て、松原村の路地をくぐり抜け行き着いたのは、
姫路おでんの報道取材が多い地元の有名店「澤田店」
終着点のおでん屋さんで美味しい珈琲を飲もうと意気込む。

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気さくで明るいおばちゃんがいるから繁盛するのは当然みたい。
週刊誌の取材が多いので、おばちゃんの出番とばかりに喋るそうだ。

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 2014年3月11日発売の「女性自身」と2014年3月25日号
(光文社発行:特別定価[税込]:390円)に澤田店が登場したとのこと。

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 綴じ込み記事「大河ドラマで話題の官兵衛のふるさと とことんガイド」の中で
掲載されている「ゆかりの6人と旅する姫路」編で、
澤田店の姫路おでんが「姫路のソウルフード」として紹介されていた。

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40万部以上発行されている雑誌に掲載され、今回ついに、
名物女将と一緒に全国区になりましたということだった。笑笑

 

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店の場所は、山陽電車白浜の宮駅を南側へ降りる。

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車道を南へ渡り、階段の下の路地を入ると、澤田店がある。

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いつまでも夫婦仲良く、
美味しいおでんやお好み焼きを焼いてくださいね。

〒672-8023
兵庫県姫路市白浜町甲347-14
TEL.079-245-6355 FAX.079-245-6355

http://oden-sawadamise.at.webry.info/
澤田店のブログもありました。

 

 

 

 

 

秋は姫路灘のけんか祭り

妻鹿の街を歩けば黒田官兵衛に関わる物が多い。

 

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姫路市白浜町の「松原八幡神社」で行われる秋季例祭は、
灘のけんか祭りと呼ばれ数万人の観客が押し寄せる。
毎年、10月14日と15日と決まっているので観光には予定しやすい。

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神輿練りのほか、絢爛たる屋台を盛大に練り競う勇壮豪華な
屋台練りが人気を呼び、海外にまで知られるようになっている。
まだ見ていない人にはおすすめの秋祭りだと思う。

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fot:2014.5.15 

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地域の文化財ともいえる衣装保存蔵&屋台蔵

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秋期例祭まで大切に保管されている屋台は綺麗だ

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秋祭りが終わったとたんに、来年の祭りが始まっているなどと言われる。

祭りを行うには長い期間が必要だという意味なのだが、

地元の人の祭りへの熱い思いと誇りが感じられる。

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忙しい中、妻鹿地区の屋台保存会の人に熱い説明を受ける。

普通は予約が必要なのだが貴重な時間を与えて頂き、

誰にも簡単には聞けない内容に感謝を申し上げる。

 

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 黒田官兵衛の刺繍を施した豪華な布の飾り物。

官兵衛初陣の様子を描いた刺繍。

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彫り物も素晴らしい。

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時代ごとに使用された道具や資料が保存されている。

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こんなにじっくり見られて、しかも説明付きなので貴重な体験。

保存会のみなさん、有難うございました。

こんな機会は二度と無いと思う。

全国の人にも聞かせてあげたい、見せてあげたい、伝えたい。

 

黒田官兵衛コレクション


自宅が展示場で、神澤輝和さんの所有するコレクション。

これから「播州黒田武士の館」を見学する。

fot:14.5.12

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妻鹿の歴史散策の中間点に差し掛かった頃、

国道250号線よりも浜の方角の住宅街へ案内された。

普通の住宅だが、そこはまさに官兵衛の館だった。

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入口の展示を見た瞬間に歴史好きな私の胸がときめく。

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テレビや新聞紙上の告知が多いので、期待感が大きかった。

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黒田家に関わるコレクションの数々に圧倒された

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この絵は国府城のものだろう。当時、お城というか砦だったような造り。

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長男長政に家督を譲り隠居し 名を改め如水としての姿。

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多く見るのは、この頭巾姿の方が如水らしい姿かもしれない。

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歴代領主の家系図が展示されている。

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レプリカだろうが、鎧兜を見られるだけでもうれしい。

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妻鹿へ立ち寄った時は、一度訪れてみてはいかがでしょうか。