旅人になりたい

鹿児島の西日本最南端の西大山駅で開聞岳を見、宮崎青島の黄色いポストへ絵葉書を投函した思い出から始まる。

室津海岸七曲り 道の駅みつ

新舞子・綾部山を出発して、国道250号線を西方面の海岸線を走る。
人は海を見ると何故だか感嘆の声を発する。
ふだん見ている自然でも、それ以上に素晴らしい景色だということかな。
平清盛の時代から歴史に登場する漁港・室津へ続く道の「七曲り海岸」だ。
七曲という地名のごとく、曲がりくねっているが、光る海が魅力的。
山の緑と海の青さとが織りなす 絵に描いたような、
爽快な空気感がいい。

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だらだらと曲がりくねった道が暫く続く。
きれいに舗装されているが、私の少年時代の悪夢が甦る。
昭和37年の梅雨時だったかな。
通勤・通学生を乗せた定期バスが路肩の緩みで海岸へ転落した。
御津中学校の仲間も被害にあい大騒動だった。
そのカーブを通過するとき、あの事故を思い出す。
それは忘れよう。
 

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この先に「道の駅・みつ」がある。
地元の物産や美味しいものが店頭に並ぶので人気がある。
駐車場に入りきれない車が並ぶ。

f:id:tabibitokun:20200604155342j:plain昼を過ぎても満席状態に仰天。

ようやく地元産の海鮮どんぶりを食べられて満足した。

特に牡蠣が入った味噌汁は美味しかった。
 

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グルグルお店を回って土産品を探すが、客足は多くて大混雑。

f:id:tabibitokun:20200604160046j:plain型崩れの野菜は大安売り、奇妙なカタチ しかも野菜の種類が多い。

スーパーで売ってる野菜よりも断然格安かも。
 

f:id:tabibitokun:20200604160021j:plain室津漁港の 大粒の牡蠣1個100円は嬉しい。

この地から西方面へは、相生の蠣、赤穂の蠣産地が並ぶ。

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f:id:tabibitokun:20200604155726j:plainなんと青森から1個60円の甘いふじリンゴが到着。

ふだんは倍10ほどの値段がつくはずだけど。
なんで秋田なのかな。
 

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何処にもご当地バーガーはある。
口に入りきらない大きさの「たつのバーガー」が売れている。
 

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窓越しに見た海岸。階段を降りると砂浜に出る。
子供も親も楽しそうに遊べる憩いの場があっていいね。

道の駅って、なぜこんなに楽しいのだろう。

 

次は、国道250号線を相生・岡山方面に行ってみよう。

 

潮騒の新舞子浜と綾部山梅林

f:id:tabibitokun:20200511174421j:plain 赤とんぼ ♪ のたつの市

兵庫県たつの市は南北に長い。
最南端「御津町の海岸」へ出ると楽しみ方も色々とある。
姫路市から揖保川を越えて、海岸沿いの国道250号線
西へ向けてドライブするのは、四季折々に変化があって面白いと思う。

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清流の揖保川を西へ跨ぐと「ようこそ御津町へ」のアーチが迎えてくれる。
簡素な田舎ではあるが、農・魚・観光が売りの町でもある。

さ、楽しい思い出が幾つつくれるかの入口です。

 

潮騒を感じる街・御津町
瀬戸内海国立公園の最東部に位置し、揖保川河口右岸の新舞子から
千種川までの沿岸部家島諸島一帯の地域。
 

 ★新舞子・綾部山からの眺望。遠くに播磨工業地帯の西端が見える

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その手前には砂地の「成山新」が広がる。

戦後に出来た干拓地で、阪神間の台所を預かる野菜畑がある。

一畝100mもあり、飛行場のような広大な面積に驚く。

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高校生までは実家の農業の手伝いをしていたが、

あまりにも過酷な職業なので家を出てサラリーマンになった。

今では機械化されてはいるが、やはり儲からないのと体力が保てない。

田畑の相続は放棄したが、兄弟のもめごとも無くスッキリしている(笑)

美味しい野菜を買う方が楽でいいかも。

と、まあ、余談でした。

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 ★まずは新舞子浜へ足を運んでみよう

瀬戸内海国立公園の「新舞子」は、多くの観光客が押し寄せる。
観梅時期と潮干狩り、海水浴シーズンは、特に賑やかになる。

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新舞子浜は、近畿隋一の遠浅の海岸

白砂青松の美しい遠浅の海では海水浴が楽しめる(昔は凄かった)
潮の満ち引きが織りなす自然の造形美が有名で、
干潮時には、沖500mの広大な干潟が現れ、壮大な景色を見せてくれる。
日の出時刻が干潮だったら、太陽の光が海面に反射し、絵巻物を見るようだ。
カメラマン好みの最高スポットとしても注目されている。
 

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 早朝の干潟

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昼間の干潟

 

★春は観梅で賑わう

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綾部山梅林の観梅は1974年に始まった。
24haの広大な綾部山丘陵地に約2万本の梅木が植樹され、
2003年には8万人もの人が訪れ、関西屈指の観梅名所になった。

 

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綾部山丘陵地一帯が梅の花で染まる

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他にも 世界の梅公園丘陵の北側にあり、珍しい梅の花も見られる。
 

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 観梅最盛期の綾部山梅林ふもとの畑では、

みつ 菜の花まつり行われ、黄色一色の景色に染まる。

 
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人かと思えば案山子だった! 人よりもホットする光景

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綾部山丘陵の梅林からの眺めはいい
遠くに家島群島、小豆島などの
瀬戸内の島々が見え、淡路島、明石海峡大橋まで一望できる。

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♪赤とんぼが流れる街 龍野

古いアルバムをめくると、懐かしい故郷の写真があった。
自然の景色が多い兵庫県揖保郡御津町で 終戦の4年後に生まれた。
高校生の頃に自転車で通った揖保川沿いの田園景色が懐かしい。
懐かしいのは年齢を重ねすぎたからなのでしょう。
その古いアルバムから ♪赤とんぼが飛び出してきた。

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昭和63年限りで昭和から平成に変わり、龍野市と御津町は合併した。
ひらがな表記の新しい「たつの市」が誕生
隣の太子町は参加せず「たつの市」の地図を真ん中で分断した。
たつの市は 童謡「赤とんぼ」の曲として有名であり、
詩を書いた三木露風の里でもある。
 

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江戸時代は龍野藩五万三千石の城下町 龍野伝統的建造物群保存地区
 

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寺院、浦川、醤油蔵などがあり、白壁が似合う城下町の情緒が残っている。
 

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うすくち龍野しょうゆ資料館    しょうゆ蔵の展示

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f:id:tabibitokun:20200511165240j:plain 武家屋敷資料館を訪問する人多し

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西の小京都と呼ばれる龍野、四季の美しさが感じられる地だ。
忠臣蔵で知られる 赤穂城開け渡しに立ち会った脇坂藩の城がある。
その城は鶏籠山(けいろうさん)の山城と、
山麓平山城とのニ期に分かれる。
山城は約500年前赤松村秀によって築かれ、
現在の平山城は寛文12年に信州飯田から脇坂安政公が移って
築城したとされている。
 
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春は特別に華やかな色合いをみせる
歴史のある静かな所で 一年を通して観光客が絶えない。
 

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龍野橋から北へ・・朝日橋から見る鶏籠山
その下に旧龍野実業高校があった。
今は新宮高校と合併し、龍野北高校として新宮に新設されている。
 
旧龍野実業高校の校歌
山河秀麗その上に 光輝く日月星 ああ 永遠によき天地♪
 
春は桜の花の咲き
夏は川辺の蛍狩り
秋はもみじの美しく
冬は白雪 いと清し
 

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秋の気配を感じると、赤とんが悠々と空を泳ぐ。
誰もが知っている懐かしい曲「赤とんぼ」を口ずさんでしまう。
秋、なぜか切なくなってしまうのは何故だろう。
しかし、15で姉やが嫁にゆき・・♪ 
などの言葉は 現代では馴染まない言葉になっている。
次第に教科書から外れたのは、時代の変化なのだろう。
 

f:id:tabibitokun:20200511163527j:plain 若き頃の三木露風

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童謡「赤とんぼ」の作詩者『三木露風』の生家は、

鶏籠山(けいろうざん)の麓にある龍野城の埋門(うずみもん)の
坂を下ったところに現存する。

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明治4年頃から明治22年の間に建築されたものとされている。

露風は明治22年6月23日にこの家で出生し、
6歳の時、両親が離縁し母親は弟を連れて実家の鳥取に帰ってしまう。
露風は祖父の家に引き取られた。
この生家は、露風が母と過ごした思い出が残る大切な場所。
 
 

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山田耕作三木露風の詩に曲を付けたのが昭和27年
露風が東京・三鷹市へ移り住んだのが昭和28年。

75歳で亡くなるまでの40年近くを三鷹・牟礼で暮らす。

f:id:tabibitokun:20200511163431j:plain 晩年の露風

この高山小学校の校歌を作詞し、今も感謝されているらしい。
そして露風が眠る墓や赤とんぼの歌碑もあり、
二つの故郷で親しまれているという。
「たつの」の街では夕方になると「赤トンボ」のメロディが流れるが、
三鷹・牟礼でも同じように♪親しまれているようだ。
 

 

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男はつらいよ 映画のロケ地にもなった 

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★第17作 (昭和51年7月 公開)

男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け
上野の飲み屋で、みすぼらしい老人と出会った寅さんは、気の毒に思い
とらやに連れて来てしまう。
その老人は、日本画の大家・池ノ内青観宇野重吉だった。
世話になったお礼として青観が描いた絵をめぐり、とらやでは大騒動が巻き起こり、
寅さんは旅に出ることに。
ところが兵庫県龍野で、寅さんは青観と再会、市長の接待を受け、
芸者ぼたん(太地喜和子)と意気投合。
しばらくして、ぼたんが、客だった鬼頭(佐野浅夫)に貸した
二百万円を踏み倒されそうになって、上京。
あまりにも理不尽な事態に、憤慨した寅さんは・・・
寅さんと日本画檀を代表する画家の友情は、
シリーズの楽しさの一つである「寅さんとインテリ」のバリエーション。
さらに、気っぷの良い姉御肌の龍野芸者ぼたんは、太地喜和子の好演もあって、
寅さんとピッタリの相性。ゲストとマドンナのバランスが絶妙で、佳作となった。
青観の正体がわかっても、身分の隔てなく、自分のスタンスでつき合う寅さんの魅力。青観のかつての恋人・志乃役で、岡田嘉子が久しぶりに日本映画に復帰した。
↑(以上はホームページ参照)

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兵庫県 龍野市本町 梅玉旅館/宴席で寅さんがぼたんと出会う

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龍野公園赤とんぼ荘から龍野橋や鶏籠山を望む

 

たつの市は南北に長く南端の御津町新舞子浜は日本有数の干潟で有名

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中学生の時の水泳の時間は、この浜で泳ぎました。
プールを持った学校なんて何処にも無い時代でしたから。
当時、潮干狩りが人気で、バスが連なり観光客で溢れていた。
浜の遠くまで浅瀬が延び、太陽の光が反射する光景は美しい。

★次回は海岸沿い(瀬戸内海国立公園)を記録しようと思う

紀州への旅

大阪から和歌山の 国道42号線を走り、
途中休憩で立ち寄った道の駅・志原海岸。
 

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和歌山県南部に位置する白浜町日置川辺りは、
海と山と川に囲まれた自然の豊かなところだった。
全国的にも名高い紀州備長炭と日置川のアユが町の特産物らしい。
ややのんびりとした空気がいい。
 

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時間を前に進め、海抜100mの展望台に到着。
潮岬は本州最南端の地で、海抜100mの潮岬観光タワーからは360度見渡せる。
眼下には、望楼の芝と太平洋の水平線や、地球の丸さが実感できそう。

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次に串本から大島に向かう。
海中に約850mの列を成して40余りの岩柱がそそり立つ。
規則的な並び方が、橋の杭に似ているので「橋杭岩」と
呼ばれるようになったらしい。海の浸食により岩の硬い部分だけが残っている珍しい景色だ。
その昔、弘法大師と天邪鬼が一晩で橋を架ける賭をして、
一夜にして立てたという面白い伝説もあるという。
この場所は、吉野熊野国立公園地域の名勝天然記念物に指定されている。
 

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エルトゥールル号遭難事件の記念館
本州最南端の潮岬の隣にある、紀伊大島にある。
ここは映画「海難1890」の元の話となったエルトゥールル号遭難事件があったところで、資料館の窓から事故現場の岩が見える。
 587人のトルコ人乗組員が死亡した大惨事だった。
 

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次の町は、日本における捕鯨発祥の地・太地町
くじらに出会える「太地町立くじらの博物館」があるくじら浜公園には、
勝浦観光桟橋から遊覧船「紀の松島めぐり」で行くこともできる。

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くじらの町で、記念に撮影してみた。

昭和40年近くになると、捕鯨が減り食卓にも上らなくなった鯨の肉。
昔はすき焼きでも食べられていたが、今では数が少ないので高級品だ。
食べ過ぎて今では欲しくない。
 

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那智大社を目指し参道を行くと、聞きなれた名前の看板が目立つ。

和歌山県を代表する観光土産でもある黒あめ「那智黒」の看板だ。
那智黒は1877年(明治10年)創業。

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ようやく、西国三十三所第一番札所 那智山青岸渡寺へ向かう。 
 

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那智山熊野三山の一つ
熊野信仰の霊場として長い歴史がある。
那智の滝を中心にした神仏習合の一大修験道場だったが、
明治初期に青岸渡寺那智大社に分離した。
今も寺と神社は隣接していて、双方を参拝する人が多いそうだ。
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落差133m、銚子口の幅13m、滝壺の深さは10mの落差日本一の名瀑で、
その姿は圧巻。ようやく那智の滝を見ることができて一息つける。
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紀州の旅は くたびれるほど距離が なが~い!

 

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勝浦温泉はJR紀伊勝浦駅が最寄りの駅になる。

山上にもホテルが見える

豊富な湧出量を誇る勝浦温泉には旅館・ホテルが立ち並んでいる。
観光桟橋から船で渡り、海の温泉気分を満喫した。
 

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日本有数の生マグロの水揚高を誇る、マグロ料理も味わいたい。
 

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観光地としても人気の和歌山県那智勝浦町
ここにある勝浦漁港は、日本有数のマグロ基地。
シーズンを問わず沢山ののマグロが水揚げされる。
毎週日曜日には「朝市」が開かれ「観光客が楽しめる漁港」だ。
しかし、ここまで来たならマグロ解体ショーも見たかったね。
 

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川の駅・志古乗船場
瀞峡ウォータージェット船は、瀞峡観光船は往復1時間余りの船旅。
和歌山県熊野川町志古という所をを出発して瀞峡を観光できる(要予約)
途中、小川口乗船場もあり、そこからの乗船も可能。

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醤油発祥の地 和歌山県湯浅町
杉樽を使った昔ながらの製法で最高の醤油を最高の職人が醸造
 

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時間に余裕があれば、紀州の旅は温泉や歴史も、見どころ、食べ処満載ですね。
もう2回も行ったので、次は違う味の旅もしてみたい。

和歌山有田でみかん・柿狩り

ある年の勤労感謝の日でした。

少し寒い風が吹いて、旅日和りでもなかったけど、

和歌山の有田でみかん狩りを楽しみました。

駐車してから、みかん山畑まで徒歩5分の道を歩く。

生産者のお姉さんが、甘いみかんの見分け方を教えてくれます。

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枝が傷まないように、もぎ方も説明してくれます。

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大玉よりも小ぶりのみかんが甘いとのこと。

大きいのは酸っぱ味が少なく大雑把な味だった。

 

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高台から見渡せば みかん、みかん、みかん・・

うちの庭にみかんの木があれば、みかん狩りに来なくてもいいけどね。

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みかん作りのプロは、樹木に与える栄養をよく考えている。

木の根元に堆肥になる物を与えて、土はふんわりと柔らかい。

籾殻も一度燃やして最適の薫炭状にしている。


有田はどの山を見渡してもみかん、みかん、みかん・・

絵に書いたような、オブジェのような、みかんツリーが見渡せる。

みかんだけで生活している町かと思えば、

ぶどう、栗、柿など四季に応じて果樹狩りが楽しめるそうです。

 

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みかんはこれから正月に向けて出荷が忙しくなる。

みかん狩りに来たが、5個も食べればジュース腹になってしまう。

 

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酸っぱいみかんの次は柿狩りへ急ぎました。

 

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車で移動した所は柿の山。
こんな俳句がありましたね。

柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺

 

明治28年10月のこと。

正岡子規は奈良法隆寺を訪れ境内の茶店で休んでいたところ、

奈良名産の御所柿が盆に盛られて出てきました。

茶屋の前から石段を登っていくと古い鐘楼があり、

大きな黒い鐘がかかっていました。

これが法隆寺の 時の鐘で、昔から斑鳩の里に時を告げてきました。

抜けるような秋空のもと、そそり立つ法隆寺の大伽藍を見ながら

茶店で柿を食べていると、すぐ近くにある西円堂の鐘楼から

時を告げる鐘の音が響き始めました。

鐘の音は、法隆寺の裏山にこだまし、微妙なうねりを伴いつつ、

斑鳩の里に伝わっていったそうです。

 

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柿狩りは、生産者からの制限が掛かっていたので、

残念ながら、ひとり2個しか取れませんでした。

 

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地元の柿祭りが終わり2日後なので、柿がほとんどありませんでした。

 

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寂しくなって★こんな俳句が浮かびました。

柿食えば アホらしやの 鐘が鳴る♪

帰る頃、山里の夕暮れに冬の気配が漂っていました。

安珍と清姫の悲恋物語「道成寺」

ある晩秋の日に和歌山の道成寺を訪れた。

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そこには道成寺を舞台にする「安珍清姫の悲恋物語がありました。

道成寺物として能楽人形浄瑠璃歌舞伎などで伝えられたという。

安珍清姫の悲恋物語寺の創建から230年経った、延長6年の物語。
物語は参拝の途中、一夜の宿を求めた僧・安珍清姫が懸想する場面から。
恋の炎を燃やす清姫は、裏切られたと知るや大蛇となって安珍を追う。
最後には道成寺の鐘の中に逃げた安珍を焼き殺すという物語。

法華験記(11世紀)に記され「道成寺物」として有名だそうです。

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国宝や重要文化財が多く、特に千手観音菩薩の木彫り像は圧巻。

神社仏閣が好きな人にはたまらなく魅力的な文化財なんでしょうね。


特に信心する気もないのですが、お賽銭を入れて手を合わせる。
こんな時だけはお願い事をしてみたくなる。
お賽銭が少ないので良い結果は得られないかもしれません(笑)

 

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紅葉に太陽が光って綺麗だが、晩秋の香りは少ない境内
カメラアングルを工夫してみたが、
これだけは芸術的なセンスが求められますね。

 

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安珍清姫の悲恋物語をネタにして、土産物が売れまくっている。

あんちんの つりがねまんじゅうは、

餡子入りでお茶請には美味しいが、

どこにも似たようなまんじゅうがありますね。

自分の大好物と言えば、安芸の宮島・もみじ饅頭でしょうか。

 

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お昼ごはんは、ず~っと奥の店・お食事処「雲水」でした。
ビールを少々と牛鍋と刺身でお腹は満たされました。

 

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旅するたびに探してみる下水槽の鉄蓋デザイン。

さりげなくモミジ柄が施されていました。

楽しそうに踊る3人もユニークですね。

現代アートの「直島」は面白い

香川県の「直島(なおしま)」をご存知でしょうか?

 

神社仏閣派や歴史探訪派、美食と絶景スポット派など

旅にはいろんなジャンルがありますが、

現代アート巡りも楽しいものですね。

直島へは岡山県側の宇野港からフェリーで20分ほどで到着します。

香川県側の高松港からはフェリーで約50分くらい)

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宇野港まではドライブですが、駅前・宇野港前はすでにアート状態

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宇野港からのフェリー

 

観光したのは2012.7.15の真夏でした。

あれから8年も過ぎていますが、益々人気があるようです。

娘に誘われて♪「島フェスティバル」♪に参加することが目的でした。

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若いミュージシャンたちの音楽の競演を見届けて、

同時に観光スポットもバスで巡りました。

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直島は1990年代から現代アートによる町おこしが成功し、
人口3200人程度の島には、世界中からアートファンが押し寄せ、

人気の観光地になっています。

「ドバイ」や「パリ」などと並んで「死ぬまでに行きたい場所」として人気スポットになっているとの噂です。

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直島は広い島なので、徒歩での観光より、バスかレンタサイクルを利用するのがおすすめですね。

 

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ギフトショップ

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★「まるごとアートな島」と言われて
島のあちこちにアート作品が点在しています!

個性的な建築デザインの美術館をはじめ、家屋、銭湯、宿泊施設など
他では見られないアート空間の島なんです。

 

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島に着いて一番最初に目に飛び込んで来る作品は、

フェリーが到着する宮浦港のすぐ近くにある

草間彌生さん作の赤と黒の水玉模様が特徴の「赤かぼちゃ」です。
どんと鎮座する姿は、存在感がありましたね。

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黒い丸かと思えば窓もありましたね

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草間彌生さんの「黄かぼちゃ」もありました。

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海岸での砂アートも楽しそうでした

 

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家プロジェクトと言って民家を利用し、まるごとアートにする。

路地を通るとそこにもアートがあるなど飽きないですね。

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単なる漁港の風景もアートにしてしまう

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★直島銭湯「I♥湯」

現代アーティスト大竹伸朗さんの美術作品、外装も楽しいが、いいお湯でした。

 

時間があれば★李禹煥美術館へも行ってみたい

美術作品 現在、欧州を中心に活動している国際的評価の高い
アーティストと建築家・安藤忠雄氏のコラボレーションによる美術館も面白い。

 

あちこちに見逃せないアートがある

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海岸にある鳥居の上には、石ころが沢山乗っていました。

これもアートなのかな。

 

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★豊島も直島と同じく香川県の島で、直島に次いで人気の場所です。
豊島へは香川県側の高松港からはフェリーで約35分、

岡山県側の宇野港からは約40分くらい。
直島から豊島への航路もありますが、

直島行きよりも便数が少ないので、やや不便かも。

 

★途中からフェリーの旅も面白い

二見浦の夫婦岩と鳥羽

伊勢参りは、まず先に二見浦の夫婦岩を訪れて、

心身を清めてから伊勢神宮へ参詣するのが正しいらしい。

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日の出の夫婦岩の風景は神々しいが、
15時過ぎの夫婦岩は、そんなロマンも感じにくい。
それでも、岩のはるか向こうには、
西の方から差す太陽の光が水面に浮かんで眩しい。
撮影時は逆光線になりかねないので、
アングルを確かめながら綺麗に写そうと試みた。

写真に収めるのも観光の楽しみなので。

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夫婦岩は、古来より日の出遙拝所として知られてきたらしい。
沖合の約700m先には猿田彦大神縁りの興玉神石(霊石)が鎮まり、
そこは降臨する神の依り代であり、
常世の国から神が寄りつく聖なる処と言われてきたという。

 

夫婦岩はこの興玉神石と日の出を遙拝する鳥居とみなされ、
男岩は高さ9m、女岩は高さ4mで、
夫婦岩を結ぶ大注連縄(おおしめなわ)は、
1本の長さ35mで男岩に16m、女岩に10m張られていて、
その間は9mある。。

海岸沿いの施設内は売店が並んでいる。

ぶらりと歩いてショッピングする観光客が多く、

冷やかしで歩くのも面白い。 

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歩き疲れて、海の見える宿に入る。

宿の名前は海喜園(かいきえん)という。

日が暮れると、湾の彼方に、漁船の漁火がホタルのように輝いている。
夜も伊勢・生浦湾の眺めは素晴らしい。

 

宿が漁師なので魚が特に美味しい。
牡蠣ご飯を2杯もおかわりできて大満足。

 

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これからの楽しみは、温泉に浸かることと夕食の宴。
海の幸が並ぶお膳に箸をつけ、ビールで乾杯。

ああ、喉が鳴る。

 

翌朝も温泉に浸かって体がポッカポカ暖まる。
旅の気分は、ますます高揚する。

 

今日は、鳥羽の観光船クルーズ。

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船場前に海女さんの看板があるが、どう見ても山口百恵みたい。

ずいぶん前の映画だが、潮騒という映画のロケシーンがあったのだろう。

 

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船上に設置された人魚の像

どきり!

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風を切って進む船には、時々カモメが飛んでくる。

そして、イルカ島へ上陸するとアシカのショーがあった。

 

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 なごむ

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 部屋に入るとこんな美人が・・

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旅は気分を変えられる!

2013-11-23 平成25年のことを思い出して書いてみた。

伊勢神宮へお参りしたら「おかげ横丁」へも

観光客でごった返す「おかげ横丁とは、
伊勢神宮・内宮前で栄えるおはらい町のこと。

 

宇治橋から五十鈴川に沿って続くおよそ800mの美しい石畳の通りには、
お伊勢さん特有の切妻・入母屋・妻入り様式の町並みが軒を連ねている。

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通りには沢山の土産物店・飲食店や商家が建ち並び、
参拝後の町歩きがとても楽しい。

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また、神宮道場や祭主職舎などの歴史的建造物などもあり、
お伊勢さんらしいレトロな雰囲気がたっぷり詰まっている。

路地に入ると、清き流れの五十鈴川へ出る。
川沿いをのんびり散歩するのも、風情があって良い。

 

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おかげ横丁は、こんな口上が聞こえてきそうな町
ようこそ、おかげ横丁へお越しくださいました。
伊勢は2000年の昔から、神様がご鎮座されるところで、
ここに住む人たちは、暮らしの全てが神様のおかげと感謝している。
そんな想いからおかげ横丁は誕生したのです。

この町は、江戸時代からのおかげ参りの伊勢の様子を再現したもので、
じっくりと見たいものが沢山あるのですよ~、っと。

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つまみ食いしながら、そぞろ歩き。

伊勢うどん
有名な伊勢うどんは麺が太くて柔らかいのが特徴。
汁が無く、甘い醤油のタレを混ぜている。

何とも不思議な美味しさだ。

 

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伊勢焼きうどんも食べてみた。
野菜も何も入っていないけど、ソースの香りが豊かで美味。

 

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威勢がよく気前がよく、どんどん出してくれる試食

ういろう、煎餅、カステラ、ハマグリ、アサリ、アワビ、
のり、お漬物など盛りだくさんの試食なんて初めて。

その中でも一番美味しかったのは、目の前で焼き上げてくれる

サンマとキスの切り身。
焼きたてを指でつまんで、ひ~は~食べる。

あまりにも行儀が悪いので、指をヤケドした。 

試食は少しだけ食べるのが美味しい。
う~ん、伊勢湾にサンマはいないはずだが(笑)

 

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これよりおかげ横丁の立札がある。

 

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横町へ入り込むと太鼓実演に人だかり。

 

威勢のよい伊勢^^.

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招き猫は横町のシンボルみたい。

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その横にある小さな社。

買ったジャンボくじが当選するかもしれないよ。

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おかげ横丁は、町歩きが楽しめる絶好の場所だった。

また行きたい町。

 

神宮式年遷宮の記憶・伊勢参り

伊勢巡り(第62回神宮式年遷宮)外宮編
2013-11-25  (平成25年のことです。
 
早朝、私たちは車で阪神高速道路伊勢路へと向かう。
朝靄のかかった大阪の中心地「御堂筋」を見下ろしながら走る。

左側には紅葉に包まれた大阪城が見える。

今日の目的は伊勢参り
 

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しかし、朝から渋滞している。
三重県に入っても車の混雑は凄い!

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山登り、、あの車の見える高所へ走行して、あそこから見下すのか。
 

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道の駅「針」で小休止。

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威勢のよいかけ声で呼び込みするお兄さんがいた。
とても旨いジャンボタコ焼きだよ~、
食べていってくださ~い。
では、と覗いたら、本場大阪の焼き方ではないぞ!
明石焼きなら和風のだし汁に浸して食べるが、
このジャンボタコ焼きは汁をかけて食べるらしい。
だから明石焼き風のタコ焼きです、と説明してくれたよ^^.
明石焼きの本場・明石からやって来たんやでと言ったら
ギャフンとギャグを言って笑っていた。

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昼ごはんは松阪牛の焼肉。

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松阪牛まつりをやっている最中だった。
伊勢はもうすぐ。
 
 
 伊勢神宮外宮に到着。

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★お伊勢さんとして親しまれる伊勢神宮
1300年にわたり繰り返されてきた式年遷宮の当たり年でお参りできた。
伊勢神宮では平成25年秋に「第62回神宮式年遷宮(ご遷宮)」が行われた。
平成17年から8年の歳月をかけて行われた式年遷宮

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式年遷宮とは、式年として定められた20年に一度、
内宮・外宮のご正宮や別宮などの建物を造り替え、
神様にお遷りいただく伊勢神宮最大で最重要の神事(お祭り)のこと。
 
その中心となる遷御の儀やお祭り・行事は報道で何度も見ることができた。
20年に一度造り替えられる常に瑞々しいご社殿は、新しくて神々しい。
永遠に変わらないお祭りが行われることに大きな意義がある。

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玉砂利を踏む音が心地よい。

その新しく完成した社殿を早く見たいと心があせる。

ここから中は、撮影禁止!

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豊受大神宮(外宮)
天照大神のお食事を司る神さまを祀っています。
衣食住をはじめあらゆる産業の守り神です。

 

かつては国費で行われた改築だが、

現在は国の安泰と国民の幸福を祈られる天皇陛下の大御心に、
国民が募財という形で力を結集して行われているそうだ。
 
 

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お守り札を買う人の列が・・
時間がかかるので買うのは取りやめた。

f:id:tabibitokun:20191206172629j:plain菊のご紋がまぶしい。

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せんぐう館は神宮式年遷宮の資料館です。
清めて。

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休憩所から眺める まがたま池の景観がきれいです。
 

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舞台では観月会なども行われるようです。

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また、清めて、、有難うございました。
 

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二礼、二拍手、一礼して外宮を出た。
サギが見送ってくれた。

★こんな時にしか神妙になれないのは、人間ができていない証です(笑)

味のふる里丹波篠山紀行

秋も深まり、紅葉が映える頃、兵庫県丹波笹山市へドライブした。
先年、丹波市篠山市が合併し「丹波篠山市」となった。
産物のブランド価値を上げるのが一番の理由だったらしい。
確かに魅力のある産物が多い。
 

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江戸時代より丹波地方の中心として栄えた篠山の町並みは、
城下町独特の文化を感じさせる見どころが集まっている。
城跡とその周辺ものんびりと散策した。
しかし、今回は時間の都合で、お土産とか、食べ物中心で
街並みを見て回るというだけの散策の感が強い。
 

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★見どころ
丹波笹山は、歴史ある寺院、アウトドアスポットなどが点在している。
今でも古い町並が残る篠山の城下町は特に味がある。
徒士武家屋敷群、河原町妻入商家群など見どころが多いが、
どちらも山の幸が豊富なエリアだ。
静かな時間が流れる篠山の城下町には
懐かしい雰囲気の古民家を利用した店が多い。
 

f:id:tabibitokun:20191203164802j:plain丹波

商店街を歩いて行くと、美味しいものが店頭に並んでいる。
焼き上がった香ばしい栗の香りが広がる。

山の幸、今の季節にタイムリーなビッ栗。

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いらっしゃ~い 焼き栗だよ~
試食で一粒貰うと、口の中に栗の美味しさがひろがった。
これが丹波篠山の栗の味なんだな。
 
丹波の黒豆

f:id:tabibitokun:20191203165746j:plain全国に知られる黒豆は人気者で、飛ぶように売れている。

早めに収穫すれば実は緑色。
遅くに収穫すれば黒くなる。
大きくてとても旨い。
丹波笹山の豆はオンリーワンの存在感がありますね。
 
田んぼに枯れて残された背の低い黒豆の木。
私が家庭菜園で収穫した黒豆の木は、
胸くらいまで高く伸びていたので不思議だ。
種類が違うか、自然環境の差なのかと疑問だったが、
山間で霧がかかる朝夕の気温差が黒豆に影響するらしい。
な~るほど~、と頷ける。
 

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★お土産にいいな
お菓子類では、黒豆せんべいが美味しいと思う。
卵をふんだんに使っているのか、甘味があって口が休めない。
このせんべいは、コーヒーや茶の友として外せない、やめられない。

篠山へ来ると豆づくしの感じがする^^.

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丹波」という名前が、産物にとってのブランドなのかな。
先年、丹波市篠山市が合併し「丹波篠山市」となったのは頷ける。
美味しい代名詞でもあるのかな。
 
★お土産品の大正ロマン

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ロマンティックな建築の土産店では、人だかりになっている。
 
 ★空から猪が

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なんと~ 猪がビルの上から覗いている!
いまにも襲いかかってきそうな大きな猪!
誰かが言った。
捕まえて ぼたん鍋にしてしまおう!
よく見れば、ぼたん鍋屋さんの看板だった。
笑いのネタも転がっている街なんだな。
 
★最高の季節だから観光客は多い

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とある場所では、観光バスが連なっていて、食事処は大盛況。
松茸の漢字には釣られやすいからね。
どこに松茸が見える・・

松茸10品づくしに誘われて・・
黒毛和牛すき焼き
焼き松茸
松茸土瓶蒸し
松茸そば
松茸の煮物
松茸茶碗蒸し
松茸と海老の天麩羅
松茸ごはん食べ放題
松茸昆布
黒豆煮
みんな 満足して帰ったのかな。
 
篠山城の石垣は、古い時代の 野面積みという工法

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武将の装束を身につけた人がいると、お城が引き立ちます。

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天守と言うのでは無く、館だったのだろう。

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城内は結構広い。城からの眺めもなかなかいいもんだ。

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★帰路、でかんしょ街道で休憩

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★帰路、小野市方面へ向かうと「でかんしょ街道」を通ることになる。
ここは、その山間部にある小さな道の駅のような売店
温泉もあり、のどかな憩いの故郷でもある。

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丹波篠山のシンボルは、猪が相応しいかも?

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銀杏も店頭に並ぶ

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地元のお酒も 丹波焼きも有名なんやね。
やはり、丹波篠山は美味しい里なんだね。
また行きたい丹波篠山





 
 
 
 
 

秀吉の播州三木城攻め

2017.10のことです。

羽柴秀吉の 播磨・三木城攻めの時の様子を見てきました。
歴史に詳しいお方なら ご存知かと思います。

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兵庫・三木市の古城跡に立ってみました。
信長方の羽柴秀吉、その軍師である竹中半兵衛黒田官兵衛

当時の播州の盟主・別所長治などに会えるかもしれない。

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三木城の塀越しに見ると、北東辺りが羽柴秀吉軍の陣地です。

昔の繁栄した城下を見ることは叶いませんが、

今では自然豊かな故郷という感じの町並みです。

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1577年、羽柴秀吉は中国地方の平定を目指して奔走していました。
黒田官兵衛から姫路城を譲り受けた羽柴秀吉は、播磨国の攻略を始めました。
信長に催促されながら必死に頑張っている頃の話です。

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東播磨地域最大の大名で20万石もの領土を持つ別所長春は、
織田信長と同盟を結んでいたのですが、1578年に別所長春は毛利方へと

寝返りました。近隣の大名が毛利方についたためと言われている。
羽柴秀吉信長の命礼で別所長治の籠もる三木城を包囲します。

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しかし、地形を味方にした三木城は簡単に攻略できません。
そこで、羽柴秀吉は三木城を孤立させ兵糧攻めにすることを決意します。
周囲の支城をひとつひとつ潰しにかかり、補給路の封鎖も行いました。

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平井山の陣営を守っていた秀吉の軍師・竹中半兵衛重治は、

労咳のため、陣中で亡くなりました。

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うっそうと茂った林を進むと墓地がありますが、一人では足が進まない。

毎年、出身地である岐阜県から、供養に訪れると聞きました。

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その小高い丘の上が秀吉の陣地になっていました。

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毛利方は、籠城している三木城内の人達を助けようと

兵糧を送り込むことに専念しますが、そのつど秀吉軍に阻まれます。
食料の届かない城内では、草や木の根、ネズミ、壁土の藁、
牛や馬まで食べつくし、飢え死にする者が続出したそうです。

 

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切腹した別所長治の首は、お城の西にある雲龍時の首塚に葬られたようです。

 

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三木城包囲から2年目の1580年、8月1日。
羽柴秀吉はついに総攻撃をかけ、やがて降伏させました。
この戦いは、その凄まじいまでの城内の様子から
「三木の干殺し」といわれるようになったそうです。

 

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タイムスリップで一部始終を見てしまいました。

 

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ああ、悲惨な事件でしたね。

城山の階段を降りる気力もなくなりました。
死んだ武士たちの怨念や亡霊が足を引っ張っていたのかもしれませんね。

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昔は賑やかだった商店街のアーケードも古びて、
シャッター道りになっていました。
昔の栄華は二度と訪れそうにもありませんね。

突き当たって左側へ歩くと、三木駅があります。
帰ろうとすると小雨がパラついてきました。

 

 

 

姫路城は 何度訪れても新発見

姫路城は「不戦の城」だ。

優れた防御力で「難攻不落」とされた姫路城。
要塞として本来の役割を発揮する機会はなかったが、

それは、徳川幕府の平和な時代の恩恵でもある。
太平洋戦争では、アメリカ軍の空襲からも奇跡的に焼け残った。
今、世界遺産・国宝姫路城は世界各国からの観光客で賑わっている。

ドイツのノインシュタイン城と共に、白亜の城として脚光を浴びる。

何度となく訪れているが、その都度、新しい発見がある。

四季折々の美しさがあり、また来てみたい日本一のお城だ。

 

夏の日

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春の日

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秋の日

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お濠端の遊覧船

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どの角度からでも美しい

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入城は菱の門から

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菱の門とは姫山・鷺山(城山)への入口を固める櫓門で、
門の正面には蔀(しとみ)となる石垣と土塀があり、枡形構造になっている。
「菱の門」の名称は、鏡柱上部の冠木に木製の花菱が飾られていることに由来する。
鏡柱は1本の太い角柱のようにみえるが、実は板で覆った集成材のようなもので、
板の合端を隠すために筋金具を打ちつけている。
外観は、一部を除き白漆喰総塗込めで、柱や貫、長押などの形がそのまま出ているのが特徴。2階の正面には黒漆に飾り金具がついた火灯窓・武者窓が配置されている。
入母屋の東西の妻は、西側が素木の木連格子、東側が白漆喰塗込めになっている。

(ホームページから菱の門の写真を拝借した)

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菱の門をくぐり抜けて、右方向を見ると天守群が迫って来る。
菱の門から東に延びる「菱の門東方土塀」は東へ行くにしたがって、
地盤が傾斜し 下がることで、石垣が段々と高くなっていく。
菱の門の厳重な防御と石垣の高さで、
内部の三国堀曲輪への侵入を防いでいることがわかる。

 

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姫路城には数多くの歴代城主がいる。
戦国時代には黒田官兵衛豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)などが城主をつとめた

ことでも知られているが、「関ケ原の戦い」後に入城した池田輝政によって

現在の姿に大規模に修築された。

 

 備前池田輝政居館跡と標されている。

池田輝政が姫路城を築城したときにこの広場に居館を建てて、

藩主と家族は実際にここに住んでいた。
3代目の光政が鳥取に転封となり、姫路を離れるまで続いたようだ。
なお備前丸という呼び方は、次の本多家時代以降に名付けられたらしい。
備前丸と書かれているのは、

播磨・淡路・備前三国に君臨した西国将軍池田輝政を偲んで、

後年池田家が備前岡山を本拠としたことから名付けられたようだ。

 

 

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城内に残るお菊井戸

姫路城の本丸下、「上山里(かみのやまさと)」と呼ばれる一角に、お菊井戸と呼ばれる古い井戸がある。この井戸は「播州皿屋敷(ばんしゅうさらやしき)」のヒロインお菊が責め殺されて投げ込まれたといわれる井戸で、
もとは釣瓶取(つるべとり)井戸と呼ばれていた。

播州皿屋敷とは、
永正年間(現在の姫路城が出来る前)、

姫路城第9代城主小寺則職の家臣青山鉄山が主家乗っ取りを企てていたが、
これを衣笠元信なる忠臣が察知、自分の妾だったお菊という女性を鉄山の家の女中にし、鉄山の計略を探らせた。元信は、青山が増位山の花見の席で則職を毒殺しようとしていることを突き止め、その花見の席に切り込み、則職を救出し、家島に隠れさせ再起を図る。乗っ取りに失敗した鉄山は、家中に密告者がいたとにらみ、
家来の町坪弾四朗に調査するように命令した。
程なく弾四朗は密告者がお菊であったことを突き止めた。
そこで、以前からお菊のことが好きだった弾四朗は妾になれと言い寄った。
しかし、お菊は拒否した。その態度に立腹した弾四朗は、お菊が管理を委任されていた10枚揃えないと意味のない家宝の毒消しの皿のうちの一枚をわざと隠してお菊にその因縁を付け、とうとう責め殺して古井戸に死体を捨てた。


以来その井戸から夜な夜なお菊が皿を数える声が聞こえたという。
やがて衣笠元信達小寺の家臣によって鉄山一味は討たれ、姫路城は無事、

則職の元に返った。その後、則職はお菊の事を聞き、その死を哀れみ、
十二所神社の中にお菊を「お菊大明神」として祀ったと言い伝えられている。


その後300年程経って城下に奇妙な形をした虫が大量発生し、
人々はお菊が虫になって帰ってきたと言っていたといわれる。
江戸を舞台とした有名な怪談「番町皿屋敷(ばんちょうさらやしき)」は、
この「播州皿屋敷」をモデルにしたともいわれるが、真偽は不明だという。

(以上は各種ホームページからの引用) 

 

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灯篭の台石

将軍坂(はの門南方土塀)を上った先「はの門」が見えている。
向かって右(東)の柱の下に転用された石灯籠の基礎石がある。

(ホームページから拝借した写真)ちょっとわかりづらい

 

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姫路城の瓦紋

「に」の門櫓の西面にある軒唐破風の棟に乗っている鬼瓦には、十字紋が彫られている。キリシタン大名だった黒田官兵衛が城主だった頃の鬼瓦だったという説もあるが、官兵衛がキリスト教に入信したのは1583年(天正11年)頃のことで、
官兵衛と関連付けるのは無理があるとのこと。
そもそも羽柴秀吉が新たな姫路城を築いたのも1581年(天正9年)のことで、
官兵衛はそれより前の1580年(天正8年)には篠の丸城に移っているため、
姫路城を離れている。そのため、この鬼瓦は池田輝政の時代のものと考えられるが、
キリスト教とは関係がなさそう。

 

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鉄砲間があるこの石段の景色は 画家好みの場所だ

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鉄砲間

997カ所が残る「狭間」。

円、三角、正方形、長方形。
その大半が敵を討つために下を向くが、
「西の丸」の白壁に一つだけ天守閣を向いた穴がある。

 

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石垣の石の形もその時代によって変化している。

 

天守閣で見た景色

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では、また訪れることにしよう。 

 

姫路城の石垣巡りは面白い

2017-04-29 の事を思い出して書いている。

★ちなみに世界遺産・国宝姫路城は2015.4.9に改修を終えて完成した

 

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姫路城の石垣積み技法の歴史を知りたいと思いつきました。
城内へ足を踏み入れず、外から城壁をぐるりと回ってみよう。
三の丸の芝生広場から天守の見える位置に沿って東へ進む。

 

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いたるところに季節の花が満開

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姫路城には様々な石垣積みの痕跡があります。
ひとつには羽柴秀吉時代の古い石垣です。
しいて、言うなれば黒田官兵衛が作った石垣のことです。
中国の毛利を攻める頃の石垣はこんな感じでした。

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大きな石の間に小石を詰めて崩れないように積む工法。
石の組方が雑で詰石が多いのが特徴だが、上手な技量が無かったと言えます。

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その積み方を「野づら積み」と言う。
姫路城にその場所が残っています。

 

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関ケ原の戦いが終りって徳川幕府となり政情が安定した頃から、
四角い石が整然と組まれるようになります。

しかし墓石や石棺など思いもしない石も組まれています。
その石積み工法から戦国時代以前か以降かがわかります。

 

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濠と石垣の関係もよく考えて造られています。
濠は前方から敵が攻め込んできても止められることができます。
姫路城の濠の入り組みがあるのは前進を困難にするためのものです。
ここは天守閣の前なので堰きとめています。

 

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しばらく歩いて、東面辺りへきました。

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ここで石垣造りのフォルムが右角途中で曲がっています。
疑問に思いましたが鬼門ということを考えての事らしいです。
丑寅の方向(北東)は鬼が出入りするので鬼門筋になるので、
石垣造りのフォルムを途中で曲げているのではとのことらしい。

 

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もう少し前進すると城の北側辺りへ差しかかります。

石垣が真っすぐ伸びているが、途中ででこぼこと突き出しています。
これは敵の攻撃をひるます為のものらしい。
出っ張りの所から横鉄砲や横矢を打てるように組んだ石垣らしい。

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石垣のでっぱり

 

城の北側から望む

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お城の外を東回りに歩いて西側の好古園の白壁までたどり着く。
その左手にお城が見えてきますが、石垣に変なものが見える。

 

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いま歩いて来た道を振り返って右にお城を見る。

 

石垣は、いつも見ているけど、気がつく人は少ない。
へそのような枠組みは 一体何でしょうか。
お城で暮らす人たちの生活排水管らしい。

ぼんやりと歩いていては発見は無いのですね。

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歓迎してくれているように、のんびりと鵜が泳いでいました。

 

散策が終わったと同時に、地面に叩き付けるような大雨が降ってきたぁ~~

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お土産店には、雨をしのぐ観光客で溢れていました。

きっと商売の邪魔になったことだろう。
 

江戸時代の姫路城下を散策

2017-04-29の事を思い出している。

 

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日差しが強くなった新緑の春だった。
姫路城の外濠跡から中濠、内濠へと歩く。
江戸時代の様相とは全く違うが、当時の町並みや道筋がわかった。
太平洋戦争で空襲を受け、町が消えても姫路城は奇跡的に残った。

その城をいただき 復活した姫路の現在の町並み。
江戸時代初期・築城当時の城主・脇坂藩から歴史の跡を辿ってみた。
姫路駅南にあった外濠から北へ歩き始めて、

フィニッシュ地点がお城となる。

 

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まずは姫路駅から外濠跡まで行ってみよう。
外濠跡は、姫路駅北側の山陽百貨店の北側辺りだったという。
外濠から南は飾磨の海へ行く道になる。
そして、外濠から南側は町家だったようだ
今立っているこの地点は飾磨津門が構えられていた。

 

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では城に向かって北へ北へと歩いてみよう。

夏の名物・姫路のゆかたまつりが始まった由縁ある神社。
辻の一角にたたずんでいる小さな社。

ゆかたまつりについては、エピソードがある。

お城を開放して町民も藩主もまつりを楽しんだという。

開かれた藩主だったようだ。

場内へといっても、外濠から少し入った場所なんだろう。

今では夏の大きなイベントとして人気のお祭りだ。

 

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足を北へ進めると昔の西国街道の辻に出た。

ここは「札の辻」という場所で、高札場があった所。

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後ろを振り返ると歌舞伎「お夏清十郎」で有名な お夏の生家跡がある。
その前には米屋跡がある。

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清十郎は米屋の手代として働いていたが、
お夏と恋に落ち、許してもらえなかったので駆け落ちをする。
悲しい結末となる主人公たちの物語。
興味があれば検索で調べていただきたい。

 

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お夏の屋敷跡と対峙して、もう面影は無いが清十郎の職場の米屋跡がある。

 

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商店街のアーケードには徳川家の譜代大名・本田家の家紋をはじめ、

歴代姫路城主の家紋が並んでいる。

丸に十は、キリスト教信者の黒田官兵衛(ジョスイ)の家紋もある。
黒田家は戦国の世から、砦として最初から姫路城に住んでいた人物。

黒田官兵衛(ジョスイ)は、秀吉の命で九州へと移住することになるが、

黒田藩と言えば、大きな勢力を持つ大名となる。

 

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現在の国道2号線に面する姫路城への中門跡の石垣。
お城へ入るまでには、いくつかの門を通過する。
ここは中ノ門跡。↓

 

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現在、バスが通っている国道2号線が中濠だったようだ。
現在、西から東へは一方通行。→→

 

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曲者が姫路城へ侵入するには、中門などの厳しい所があるので難しい。

すごいお城だったようだ。

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やっとお城の見える広場へ到着できた。

現在、広大な広場や土産物店があるが、
昔は家老屋敷が建ち並んでいたらしい。
B1フェステイバルのイベント会場に利用された広場でもある。

 

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週末とあって外国人を含む観光客が押し寄せていた。
GWにはもっと混雑することになるだろう。

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1時間近くかけて、やっと大手門にたどり着いた。

 

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サムライのボランティア仲間に入りませんかと誘われた。

それは無理だが、武者姿の人がいるだけで観光客は嬉しいね。

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何度見てもうっとりするきれいなお城だこと。
JR姫路駅からの距離を考えれば、かなりの距離がある。

さっさと歩いても15分はかかる。とてつもなく大きな城だったのですね。

世界遺産だけのことはある。

もっと知りたい姫路城。